鈴木紗理奈
【 2007年03月07日放送】【90回】パート1
今日のゲストはタレントで、MUNEHIROの名前でレゲエシンガーとしても活動する鈴木紗理奈さん。
【オープニング】
国分「今日は美輪さんの好きな『格付けし合う女たち』に
よく出ている、関西弁の女性の方なんですけども。
どんな印象ですか。」
美輪「ふっふっふ。彼女がまだ10代の頃にね、番組一緒にやってたの。」
国分「あ、そうなんですか。」
美輪「うん、そうなの。だから、それ以来だから。もう100年ぶりくらいかしらね。」
国分「なるほど、向うもかなり生きてますね。」
美輪「はい。」
国分「どんな印象ですか。」(江原さんに)
江原「テレビみてると何か元気いっぱいっていうイメージの方がね…。」
国分「最初に元気という言葉が出たら。『あ、実は違うのかな』なんていう。」
江原「元気な人はね繊細な人、多いですからね。」
国分「そうですね。楽しみです。」
~1977年、7月13日 大阪府まれ
建設会社を営む父と男兄弟に囲まれ
天真爛漫に育った少女は~
~鈴木紗理奈さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~
【鈴木紗理奈 スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言で⇒全力投球
小さい頃なりたかった職業⇒歌手と、自衛隊と、極妻でした
毎日かかさずすること⇒毎日かかさずすることは嫌いなので、ありません
好きな男性のタイプ⇒革命家
人生の転機⇒上京してきたときと、父がなくなったとき
国分「美輪さんとは、かなりご無沙汰と…。」
紗理奈「そうなんです。私、覚えててくれてると思ってなくて。感激です。」
国分「その当時の事、覚えてます?。美輪さん、どんな方でした。」
紗 「もう、このまんま。何もお変わりない感じですね
不思議な方過ぎて若い時は、あまり理解できなかったです。」
国分「デビュー作品に近い状態になるわけですね。」
紗理奈「そうです。東京出て来て一番初めに出たレギュラー番組ぐらいなんです。」
国分「その仕事に美輪さんがいたら、それは理解出来ないですよ。」
美輪「はっは。」
紗理奈「訳が分らなくて。『やっぱり芸能界って、すごい。』って思いました。」
美輪「あの頃、あなた地塗りしてるくらいでメーキャップもろくにしてなかったじゃない。」
紗理奈「そうなんですよね。」
国分「今は、もうコンクリート塗る時に塗ってるような。」
紗理奈「そうなん。うるさいわ!今はもう、私、絶対ノーメイクNGですから。」
国分「今、でも今のヒントですよ。
もう一度、スッピンでテレビ出たらどうですか?っていう事ですよ。」
美輪「いやかわいかったわよ。」
紗理奈「絶対、嫌ですよ!」
美輪「そう。」
国分「江原さんとはどうですか。」
江原「初めましてです。よろしくお願いします。」
紗理奈「初めましてです。お願いします。」
国分「それではスピリチュアル・チェック、振り返ってみたいと思います。」
[強い女性に憧れた]
国分「小さい頃なりたかったのが、歌手と自衛隊と極妻。
歌手は分ります。女の子はアイドルみたいになりたいとか。
あと大体ケーキ屋さんだったりとかお花屋さんとか多いと思うんですけど。
そんな中、自衛隊でしょ。」
紗理奈「メチャメチャかっこいいと思って。」
国分「自衛隊の人が。」
紗理奈「そうですね、映画で小学校ぐらいの時に。
『ターミネーター』って公開されて、その時に。 リンダ・ハミルトンが筋肉ムキムキで。
キャミソール着て、すごいカッコいい走り方してるのを見て。
『私、これになる。』って思って。そこから、筋トレ始めて。
戦闘ものとか、女の人がヒーローになって、悪者やっつけるみたいなものとか、
だから極妻の岩下志麻さん見てしびれたり、たくましい女の人にすごい惹かれて。」
国分「回りにいなかったんじゃないですか?そういうタイプ。」
紗理奈「女の人はいなかったんですけども。
私、兄が3人いて。で実家が土建屋で、いとこも全員男で、
学校に行くまでは女の子と遊んだ事なかったんですよ。」
国分「すごい環境ですね、それは。」
紗理奈「だから多分、自然に、そういうたくましいものに惹かれたのかなと思うんです。」
国分「女性で、筋肉質の人が格好がいいと思うんですか。」
紗理奈「後は権力のある女性でしたね。
志麻さんみたいな、男でも黙らすみたいな人を見て『超カッコいい!』みたいな、
『絶対なる』って。」
国分「『命(たま)の取り合いやで』って、言ってるような。」
紗理奈「そうそう、そうです。」
国分「じゃあ全然、お花屋さんなりたいとか、そういう気持ちはなかったんですか。」
紗理奈「もう全く!周りの女の子が、お花を見て『きれい』とか
『ケーキ屋さんになりたい』『保母さんになりたい』と言っても
『何を言ってるの?おかしいな』と本当に思ってました。
『保母なんか、子どもの面倒、面倒くさいやねん』とか『小さい夢やな』みたいな。」
国分「なるほど。あの、よくテレビなんかでは。
昔けっこう、やんちゃだった頃のお話とか聞きますけれども。
いつ頃ですか?自分が一番やんちゃだったな、という。」
紗理奈「自分ではグレたつもりはないんですけど。
好奇心がどんどんエスカレートして行って。
そういう不良がやる事をやったんですけど。東京行く前が一番酷かったですね。」
国分「東京来たのっていくつ?」
紗理奈「17歳の時なんで、中3くらいから、ちょっと夜遊びするようになって。
高校入ってからもうイケイケどんどんです。怖いもんがなかった。」
「スカウトされて上京。」
国分「そこから芸能界に来るんですよね。」
紗理奈「そうなんです。デビューする1年ぐらい、ああもっと前かな。
もうイケイケどんどんやってる時に社長に声かけられたんですよ。」
国分「え、大阪で、ですか?」
紗理奈「そうなんです。その時も、ほんまに怖いものがなかった時やから。
けっこう社長、いかついんですよ、見た目が。それをいじり倒したんですよ。
『芸能界ってもう、うるさいの、おっさんやん』みたいな。」
国分「社長に対して、そういう風に。」
紗理奈「それを言ったら気に入られて。
『もう来年東京や』みたいに。『来い!』って言われて。
国分「ご両親は、もう許してくれた?」
紗理奈「もう、すぐ許してくれて。東京いって来いって言われて。」
国分「許してくれてないんですか。」
江原「許すんじゃなくって。もう、このまんまいったって、ろくなもんにならないから、
だったら東京行った方がいい、って。」
国分「らしいですよ。」
紗理奈「そうですね、今、知りました。親心を。」
美輪「はは。」
国分「でも自分の中で人生の転機っていうのは、東京に出た事と。」
紗理奈「出た事です、出てよかったと本当に思います。あのまま大阪にいたら。
私、多分、飛田辺りで、ピンクのライト照らされて、こういう事、やってた。
そんなくらい、ちょっと悪い道に踏み込み出してたんでだから、よかったと思います。」
(飛田…大阪の歓楽街)
美輪「おっかしい、おもしろいわね。」
紗理奈「で、私、後、中学校の時から英語をすごい勉強してて。英語が大好きだったんで。
留学しようか芸能界入るかとか悩んでたくらい、アメリカに行きたかったんです。
で、お母さんは、『もう、この子はここにいる子じゃない。』と思ってたみたいで。
親に聞いても『全然いいよ、行っといで。』って言ったんで
『もうじゃあ行く』って、すっと行ったんですよね、東京に。」
国分「よかったよね~。」
紗理奈「だから、ほんとによかったです。東京出て来て人生変って。
自分が持って生まれた性格のまんま、通用する世界だったんで、よかったです。」
[父を亡くして]
国分「そして2つ目の転機が、お父さんが亡くなられた時というような事でしたけど、
どんな変化があったんですか。」
紗理奈「東京に出てきても芸能人という自覚がなくて、変わらずに遊んでいて。
お父さんが病気と聞いたときも『人が死ぬ』という実感があまりなくて、
大阪に帰っても友達と遊ぶ方がおもしろいから実家にも寄り付かず、大勢で飲んで騒いで遊んで。
私以外の家族は、みんな毎日お父さんとご飯を食べたり、コミュニケーションを取って
思い出を作っていたのに、私だけまったく省みず。
お父さんが亡くなったときにそれに気づいたんです。」
[2001年父が他界]
紗理奈「亡くなったのをきっかけに
すごくショックだったのと、それまでの自分の人生を自分で否定して。
それまでは『私の人生は間違っていない。』という根拠のない自信があったんですけれど
それが全部打ち砕かれて。ちょうど仕事もうまくいっていなくて、
多分、そういう気持ちになったからうまくいかなくなったと思うんですけれども、
自分のこともすごく嫌いになって、それから何年も家で読書をしたり。
そのときに中学校のときに好きだった英語を勉強しようと思って、英語学校に通って、
誰とも遊ばず、家の中にこもっていたことが何年か続いて。」
美輪「何年ぐらい続きました。」
紗理奈「22歳ぐらいのときから、25、6歳くらいまで続いた。結構長かったです。」
美輪「その間ね、『紗理奈ちゃん、どこに行ったのかしら?
全然、最近見かけなくなっちゃったけれど、いい子だったのに。』と思ってたのよ。」
紗理奈「家で本を読んでました。」
美輪「いい
お勉強をしたのね。」
紗理奈「多分、そのときにすごく沈んだから、もう上がるしかなくなったんだと思います。」
国分「お父さんといた時間が少ない、という事ってのは今も後悔してるわけですか。」
紗理奈「もうメチャメチャしてます。もうすごい夢に出て来て。
『もう何でこんな出て来るの?』っていうくらいお父さんが出て来て。
『よかった、生きてた。お父さん、私はこう思って、こんなことがあって、
今こんなことで悩んでいるんだけれど、どう思う?何をしたらいいの?』と聞いたら
『時間がなくて、今から行く』とどこかへ行ってしまったりとか、
何も言えずに終わる夢を、もう2年くらい見ていて。
だからお父さんが死んだという実感よりも、後悔。もうしょっちゅう泣いていました。
夢を見て、起きたら泣いていて、お父さんのことを思い出して『ああ、おらへんのや』
私がとても良くなったということを、お父さんは知らないんですよ。
ちょうど遊び呆けて、仕事が上手くいっていない時期に亡くなっていて
『もうお前あかんから、諦めろ。』ということもお父さんは言っていたんですよ。
今はこうやって精神状態も良くなって、真面目に、というか、
ちゃんと地に足をついて歩いている自分を見て欲しいという気持ちがあります。」
国分「お父さんはどんな人でしたか?」
紗理奈「すごく格好よかったです。いつもパリッとスーツを着ていて、いい匂いをさせて。
土建屋さんで社長をやっていたので、昔は現場に出ていたんですけれど。
小さい頃はすごく貧乏で、お父さんが会社も起こしていなくて、
食べる物もないくらい貧乏だったはずなのに、年がいくに連れて引っ越す度に
家がどんどん大きくなって、
お父さんもどんどん格好良くなっていくのを間近で見ていて。
自慢のお父さんでしたね。」
国分「ほお。お父さんは何かを言うよりも、行動で。」
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