島田洋七

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【 2007年05月05日放送】【95回】パート1

今日のゲストは、漫才コンビB&Bのひとりで、著書『佐賀のがばいばあちゃん』が
ベストセラーになったタレントの島田洋七さん。

【オープニング】
国分「さあ突然ですが美輪さん、おじいちゃん、おばあちゃんの思い出っていうと、 何かありますか?」
美輪「あんまりないんですよね。うちは複雑だったし、年が離れてましたしね。
だって母方の祖母が、慶応生まれなんですもの。」
江原「はあ。」
(慶応…明治の前の年号 1865~1868)
国分「写真とかっていうのも、じゃあ。」
美輪「いや、それはありますよ。終戦後も一緒にちょっと暮らしてましたからね。」
国分「洋服の写真ですか?」
美輪「いや、着物です。それも、やはりお歯黒に染めてましたよ。」
国分「ええ~!」
(お歯黒…歯を黒く染めること。江戸時代には結婚した婦人がおこなった)
国分「そういう写真が残ってるんですか。」
美輪「そういう時代の人ですからね。」

国分「はい。さあ、本日のゲストの方ですけども、
日本で一番有名な、おばあちゃんを持つ方だと思います。
何となくなんですけどもね。今日は、がばい事になりそうかな、と。」
美輪「ははは。」

~1950年 2月10日 広島県生まれ
8歳の時、佐賀のおばあちゃんに預けられた少年は。
“がばいばあちゃん”と呼ぶ、たくましい祖母と
かけがえのない貴重な生活を体験しました
徳永昭廣(あきひろ)。この少年こそ
後に漫才で一世を風靡する島田洋七でした。」
がばいばあちゃんが江原に伝える本音とは…そして
嫁に頭を下げてくれた。涙で語る祖母の愛、母への思い…~

がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい! (徳間文庫)

~島田洋七さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【島田洋七 スピリチュアルチェック】
小さい頃なりたかった職業⇒野球選手ですね
好きな言葉⇒ばあちゃんのくれた
「『コツコツやってもな』と思う前に、コツコツやれ!」という言葉が大好きですね
よく見る夢⇒これは、もう、かあちゃん
人生の転機⇒うちの嫁さんと駆け落ちするときにばあちゃんに
『東へ行け』と言われたこと。
将来実現したい夢⇒ばあちゃんとかあちゃんにもう一回会ってみたいですね

国分「さあ、あの美輪さんとは初めましてになるんですか。」
島田「はい。」
美輪「ええ、初めましてね。お互いに長いのにね。お会いする機会なくて。」
島田「はい。」

国分「江原さんとも。」
江原「初めましてです。」
国分「あ、初めてですか。こういうスピリチュアルな世界は興味ありますか?」
島田「ま、家にいたら、『オーラの泉』、よく見ますよね。」
国分「あ、そうですか。」
島田「はい。何か当てはまるじゃないですか。
自信も湧くしね。あ、これやめた方がええかな、って思ったり、そういうのもありますね。」
国分「ああ、そうですか。」
島田「自分で決めきれない事が、 ほとんど世の中、そんなもんだから。
それ言うてもろたらうれしいですね。」
国分「ああ。」

[亡き母の夢]
国分「どんな形でお母さんは出て来るんですか?」
島田「いや、何か。『ご飯だよ~』とかね『一緒に映画を見に行こう』とか『風呂に入れ』とか、そういうの、よく見ますね
国分「ほお、一緒に住んでいる夢って感じなんですかね。」
島田「それで、『風呂に入れ』と言ったわりには、風呂場に行くとかあちゃんがいないんだよね。
行くといない。声が聞こえるだけ。」
国分「いつ頃のお母さんなんですか?」
島田「小学校と中学校の間、ず~っと離れている時の顔が多いですね。30代、40代のころ。」
(洋七さんは、小学2年から高校入学までの8年間、母と離れ佐賀で祖母と暮らし)

国分「ばあちゃんの方が先に有名になってしまいましたけれども、
お母さんはどんな方だったんですか?」
島田「かあちゃんは、やっぱりばあさんによく似てましたね。
言うことも似てましたし。一番よく言われたのは
『優しい言葉の中にも厳しさを見つけろ。厳しい言葉の中にも優しさを自分で見つけ出せ。』
それはよく、かあちゃんの手紙に書いてありました。」
国分「小学校から中学校まで、離れ離れになっている時の手紙に。」
島田「特に中学校のときに多かったですね。」

国分「小学生のときにもうお母さんから離れておばあちゃんと一緒に住みますよね。
そのときはどんな気持ちでしたか?」
島田「やっぱり駅で、急にボンッと押されましたからね。ただ、おばさんを見送りに行って
『おばちゃん帰るから、手を振れ』と言われて、発車のベルが鳴って
背中をボンッと押されて電車に乗せられて、そのままですからね。」

国分「僕も映画で拝見したんですけれども、今では信じられないことだなと。」
島田「親戚が映画をみたんですけれど、あんなものじゃなかったと。
とにかく僕は、電車の中でずっと、頭が割れるくらい泣いていたらしいですよ。」

~佐賀に帰るおばさんを母と一緒に見送るつもりでやって来た、広島駅。
そこで思いもかけない事が。
それは、あまりにも突然の別れでした…
このまま広島で暮らすのは、よくない。思い悩んだ母の辛い決断でした~

島田「後から考えたら、おかしいのが、帰るおばちゃんの荷物よりも
見送りに行く私の荷物の方が大きかったんですよ。」
江原「ふふふ!」
島田「不思議だよね、靴をはいているのに、
『ズックをもう1個持って行きなさい』とかランニングを5つとパンツを5つとか
なかなか3泊4日の見送りってないですからね。」
美輪「ははは。」

母の元を離れ佐賀で暮らすことになった洋七さん。
そこには貧しいながらも貴重な生活の体験が待っていました。」
(かごに野菜を載せて川に入ってるおばあちゃん。
上流から流れて来る野菜を拾う。)

[がばいばあちゃん]
島田「熱が出て『ばあちゃん、38度5分もある』と言ったら
『大丈夫や。お前だったら40度は出せる!』って言いましたからね。」
美輪「ははは。」
島田「俺その時、何かよく分かんなくて、まだ上があるのか何とか。」
国分「すごいおばあちゃんですね。普通は心配しますものね。」

島田「心配しますよ!
『ごはんは?』と言ったら『そんな暇はないから、寝ろ。』とか
『食う暇ないから、寝ろ』とか、もう最高や。
だから、ご飯に触れないんですよ。
『ご飯ある?』ときいて、『ない』と言うのが、辛いんですよね。
学校から帰ってきて、ごはんがないときは、
『風呂に入って寝ろ。』とか『そんな暇はないから、早く寝なさい。』とかね。
すり替えて言うだけの話でね。」
美輪「頭のいい方だったのね。」
島田「回転は良かったと思います。」

国分「実際に、ご飯のないというときもあったんですか?」
島田「小学校5年生、中1くらいまでありましたね。朝もなかったときがあるし。
晩食べたら、朝ごはんがないときもありますよ。
『やっと朝ご飯や』と起きたら『朝ご飯は、昨日食べたやないか。』と言われてね、
聞いた事あるの友達に
『朝ごはんて2日に1回?』」『え?毎日食べてへんの?』
『うん。うちは2日に1回のペースやね』と。
そんな人、いっぱいいましたよ。だから恥ずかしくないしね。。」
国分「おお。」
島田「すごく辛かったのが、夕方が嫌いでね。
神社に集まって遊ぶ、集まるときはうれしい、5人、10人ってね。
でも5時半ぐらいになったら、みんな帰ってしまう、1人ずつ。
『ご飯ですよ、帰りましょう。』とか、お母さんが迎えに来る。最後はぽつんと1人。
そんなことが何日も続くから、1度、ポツポツと歩いて帰って、
『ばあちゃん、相談がある。「アキヒロ、ご飯だから帰って来い。」って呼びに来て!』
そうしたらばあちゃんが『もう帰ってきてるがな。』」
国分「いい関係ですね。」

島田「『そこを何とか迎えにきて』って言うたら『変わった子やな。 神社に戻っとけ。』ていわれて。
戻ってじっと待っていたら、ばあちゃんがトコトコと来て。俺も何だかうれしくてね。
『アキヒロ』と呼ぶから『なあに?』と言ったら
『今日は晩御飯なかぞ~』といわれて。」
美輪「ははは。」
島田「言わなきゃよかった、と…俺。」
国分「その、おばあちゃんですけど、おばあちゃんがお母さんの頃、
かなり苦労したという話も聞いているんですよね。」
島田「子供が7人ですから、大変だったでしょうね。
42歳くらいで、50歳のじいちゃんを亡くしてね。
それまでは自転車屋で、いまで言うバイク屋さんみたいな、結構いい暮らしだったようです。
それが急にじいちゃんがいなくなって…。
どこか良い方に明るく開き直っちゃったみたいですね。」
国分「じゃあ、おばあちゃんが泣いている姿はあまり見たことがないんですか?」

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