島田洋七
【 2007年05月05日放送】【95回】パート2
今日のゲストは、漫才コンビB&Bのひとりで、著書『佐賀のがばいばあちゃん』が
ベストセラーになったタレントの島田洋七さん。
[ばあちゃんが泣いた日]
島田「あの転校してね、最初の運動会の時に。
昔の運動会、ロープ張って家族が見に来て、ゴザはって。
俺は誰もおらんから、教室で1人で食べてたんですよ。
そしたら、学校の先生がバーンと来て。
『徳永くん、先生、腹痛いからお弁当替えて。』って。
『いいですよ』って、こう替えて『何で?』言ったら
『梅干と生姜しか君の入ってないやろ』言うから、
『何で知ってるんですか?』言ったら、『学校中の噂や』言ってね
だから腹痛い時は梅干と生姜がええから替えてくれ、と
パアッと開けたら、ほんますごいのが入ってるんです。
海老天とかソーセージの焼いたやつ。
もう初めて食べて、うまくて。」
国分「はい。」
島田「2年になって、運動会になったら
また、その先生が、お腹痛いって弁当持って来るんです。
3年4年はね、高森先生いうて女性の方で。『もう来んか。な』、思ったら
またガラガラって開けて『先生、お腹痛いから、お弁当替えてくれる?』って。」
国分「ええ。」
島田「それを6年生の時におばあちゃんに初めて話したの、家で。」
国分「あ、そうなんですか。それまで、ずっと続いていて。」
島田「だからもう『そうなのかな』って思ったから。
ばあちゃんが『小学校は楽しかったか?』言うから『楽しかった』と。
『ただ年に1回だけ不思議な事がある。
運動会に必ず担任の先生が、お腹痛くなる。』と。」
島田「その話をした時には、ばあちゃん。やっぱりポロポロッと泣いてましたね
その時、初めて『人に優しくする時は人に気付かれんようにしてあげなさい』と。
『気遣うからね』と。
『俺の為とか言うとばあちゃんも気を遣うし、おまえも気遣うから。』って、
そういう『優しい先生やなあ』て。言葉だけは覚えてるね。
意味は、ちょっと分かんなくて。小学生やから。」
美輪「粋ですよね、その先生方ね。それがやっぱり教育ですよね。
身をもって、さりげなく教えてるわけでしょう。
愛情持ってね。それが、やっぱり尊敬される事ですよね。」
島田「うん。」
[暗い話は夜するな!]
国分「お父さんは、いつ頃亡くなったんですか?」
島田「定かじゃないんですよ。かあちゃんもとうちゃんの話をあまりしなかったね。
お母さんから聞かなかったって事ですか。」
島田「うん。要するに、悲しい話には触れようとしないんですよ、ばあちゃんもかあちゃんも。
ばあちゃんは『暗い話は夜するな。昼間したらなんてことないから』
盛り上がるでしょう?」
国分「確かにそうですね。夜、暗い話をするとドーンと落ち込んで、
『もうダメだ~』というくらいまでいきますものね、どん底まで。」
美輪「それは昔の人の人生哲学でね、生きる上の知恵なの。
昼間考えると大したことない、問題でもないことなのに、
夜とか、夜中に、丑三つ時にだんだん近づくほど、考え込むと深刻で、
ものすごく深い悲しみみたいになっちゃう。
朝に考えると 『あ、別にどうってことなかったんだわ。』という風に思うのよ。
昔の人って、やはり素晴らしい知恵を持っていらしたのね。
そうやってさりげなくおっしゃるのがいいわね、おしゃれで。
余計なことは一切言わなくて、一番ためになることをサッと言うというのは
おしゃれでしょう?素晴らしい。」
国分「本当にそうですね。今はおばあちゃん、おじいちゃんの近くに住む生活というのが
少なくなってきてるじゃないですか。」
江原「うん。」
国分「僕は覚えてるんですけども、中学生の頃、
僕がいけない事なんですけども、塾に通ってる時に、
ほんとにテストが分かんなくて。
隣の子のをバンバン見てたんです。
もうカンニング状態で、全部見て書いたら。
隣の子と同じ点数になったんですね。
それで、やっぱり先生が、『おかしいぞ国分』て言われて。
親報告されて、家に帰ったら、
初めて親父にグーでカーン!って殴られたんです
それはショックで号泣ですし。
たまたま田舎からおじいちゃんとおばあちゃんが来ていて、
『そんなに殴るものじゃない。自分でもカンニングしたことは悪いことだと
多分わかっている。
でもやってしまったことはしょうがない。
先生にも怒られて帰ってきてるんだから、そこまで怒っちゃいけないよ。』ということを
父に怒っていて。
僕ももう、すがる場所がなかったので、
おばあちゃんのところにすがったという思い出があるんです。」
[家族の役割分担]
江原「要するに、役割分担みたいなものがありますものね。
最近は夫婦でも役割分担がなくて、両親ともどもで子供を責めたりね。
普通はお父さんが叱り役だったら、お母さんが逃げ込みを受け止める役だったり、
ちゃんと役割分担があるんですけれど、それが今はなくて、虐待にまでいってしまったりね。」
島田「日本は、核家族みたいなものは失敗ですよね。」
江原「失敗ですね。」
島田「おじいちゃん、おばあちゃんはおった方がいいです。選択肢がいっぱいあるもんね。
お父さんに怒られたら、おじいちゃんのところに行くとか。
やっぱりこれが日本人に合うみたいですね。
今は本当に、おじいちゃん、おばちゃんを知らない子がいっぱいいますからね。
直接触れない、年にq回しか会わないとかね。」
国分「年に1回も会っていないこともあったりしますものね。」
江原「人間なんて若いと未熟だから、お母さんも感情で子供を叱るときもあるんですよ。
でもそのときにやはり大家族だと、おばあちゃんとか、受け止める側、
逃げ込める側があるから。そこでお互いに冷静になれるんですよね。
子供もお母さんに悪いことをしたなと思うし、母親の方も悪いことをしたなと思うし、
そこで丸くおさまるんだけれども、それがないから、
どんどん虐待の方にいってしまったりね。」
美輪「やはり『捨てる神あれば、拾う神あり。』でね、全部逃げ場をふさいでしまうと
追い詰められて行き場がなくなるでしょう?やはり逃げ場を作っておいてあげるということ。
それと、日本で核家族になってしまうのは、結局、お家賃が高い、2DKとか
小さいアパートでも高いから大家族で住むのは困難。
経済的、物理的な面でも
しょうがなくて、核家族になる場合もあるのよね。
だから洋七さんって、本当に素晴らしい家庭でお育ちになって、お幸せだったわね。」
島田「幸せですね。お金こそなくて、母とは離れていましたけれどね。いつも明るくて。」
江原「お金がないというのは大変だと思うけれども、今の時代と違うから、
みんなが生きることが大変だったんですよね。」
美輪「やはり『楽あれば苦あり、苦あれば楽あり』と言われている『正負の法則』でね
何かを得れば何かを失う。何かを失えば何かを得られる。
お金がなかったからこそ、そういう生活の知恵とか素晴らしい言葉がでてきたわけでしょう?
お金があったら生きる上での生活の知恵とか、生きる術とかは言う必要もないし、
教わる必要もない。
そういう言葉も出ていらっしゃらなかったと思いますよ。」
島田「じいちゃんが死んでなかったら、そういうばあちゃんになっていなかったかもね。
もっとのんびりと、普通のばあちゃんだったかも。」
江原「それでいて。『おばあちゃん、おばあちゃん』て
どうしてもそういう呼び名になっちいますけど。
あの、お若い頃、きれいだったらしいですね。」
島田「ああ。」
江原「きれいな品の良い人だったんですって。
ご自身がおっしゃるんですよ。」
島田「あっ、ご自身がですか。ほうほう。」
江原「ええ、ええ。」
[ばあちゃんの本音]
美輪「もう出ていらしてるの?」
江原「そうなんです。さっきから、『ばあちゃん、ばあちゃん』と言われて。
『ばあちゃんにはなるのであって、その前は若くて美人だったんだ』ということをおっしゃるんです。」
美輪「『好きでばあちゃんになったんじゃない。』って。」
江原「ちょっと自慢になるくらいの美人だったんですって。」
島田「だってね、ばあちゃんがぼやくときって、必ず、仏壇の前だけなんですよ。
じいちゃんに向かってね。普段はにこにこしているのに、仏壇の前では、
『あんたええなあ、腹のへらんところに行って。暑さ寒さもわからんやろ。なんまだぶ』
この小言がものすごくおもしろかったんですよ。」
美輪「そこで全部、自分の思いをはき出して、リフレッシュするんでしょうね。」
島田「それも暗~く言うのではなくて、自分でも半分笑って言ってましたね。」
江原「『望まれて一緒になったのに、こんな風になって本当にあたしはついてないよ』って。」
島田「『7人も子供を残して』って、ぼやいてましたよ。」
国分「おじいちゃんに対して。」
島田「『私が仕事するとは思わんかった。』とかね。こう拝みながら。」
[東へ行け]
国分「人生の転機が、おばあちゃんに、
『東へ行け』。駆け落ちしてる時ですか?」
島田「そうですね。僕、野球に挫折して、野球やめて。
それで、嫁さんと知り合って、親戚中が反対するんですよ。
プータローやから仕事してないしね。
でも、好きとか嫌いとかじゃなくて、知り合った時にね。
向こう(奥さんのこと)も佐賀から出た事なくて、デパートで経理やってて、
『都会に行ってみない?』って、
『1人じゃ心細いから、2人で行こうか。』と。
そうしたらもう結婚するしかないな言って。
向こうの家に行っても怒られるし、親戚中、怒られるし。
『ダメかな』思ったから、ちょっと『ばあちゃんにだけ1回、言ってみるか』って、
おばあちゃんに、こう言ったら。
『うん、人生1回しかないから思ったように、やってみ。』って。
『おばあちゃん、どこ行ったら、ええ?』と聞いたら
『東へ行け。お前は学歴がないから東行け東。日当が倍くらい違う』。」
国分「はあ、なるほど。」
島田「確かに、倍以上違ってましたね。」
国分「東京に行って何をしようとして?」
島田「適当に。俺、歌手になるとか適当に言ってたんですけど。」
歌なんて聞いた事もないのね、カラオケもないし。
『へえー、がんばらな』言ってて、田舎もんやから2人で盛り上がって。」
国分「前向きですね。」
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