島倉千代子

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【 2008年06月12日放送】【124回】パート1

今日のゲストは、「人生いろいろ。」などのヒット曲があり、さまざまな苦難を乗り越えてこられた演歌歌手、島倉千代子さん。

【島倉千代子 スピリチュアル・チェック】
小さい頃なりたかった職業⇒お嫁さんです  
最近凝っていること⇒携帯のメールを覚え始めました。途中で疲れて止めます  
リラックスする場所⇒パチンコ台の前です。パチンコ大好きです。  
好きな言葉⇒何があってもめげないの  
人生で一番腹が立ったこと⇒何回かあったのですが、腹が立ったとしても「あ、自分が愚かだったな。」という思いが先になります

 

[江原さんと美輪さんについて]
島倉千代子さんはオーラの泉をずっとみているそうです。
美輪さんとは、デビュー当時から付き合いがあるとのこと。
以前、2人ともコロムビアというレコード会社に所属していたのだそうです。

[歌で大活躍]
1955年に16歳でデビュー曲「この世の花」が200万枚以上の大ヒット。
セーラー服で出ていてかわいらしくて大変な人気だったそうです。
けれども疲労で声が出なくなってしまって、週刊誌には『もう歌えない』
『島倉千代子はダメだ』と書かれたりしたとか。
そのときに美輪さんに、こういう場合はどういう風に考えたらいいのかを聞いたそうです。
美輪さんはいろいろ話してくれたそうですが、「自分に負けないこと。」と。
周りの話を信じてしまうと声の出てくれるようになるのがもっと遅くなってしまう。
自分を信じて、自分が負けないこと、と教えてくれたそうです…。

島倉「私って、何か嫌なことがあると 『これは私がいけなかったから、
こういう風になってしまったんだ。
だからがんばればいいんだ。』という気持ちがいつもあるんです、今も。
だから10代のその時からずっと積み重ね、
自分が強くなるということが 今もきっと続いているんじゃないかと。そんな気がしますが。」
国分「美輪さんの言葉がずっと心に残っていて。」
島倉「はい。ずっといまつながっているんだなっていう風に、思いました。」

~立ち直った島倉さんは、レコード大賞を受賞されるほど活躍し、
周囲の反対を押し切っての野球選手と結婚もしました。
ところが結婚は破局を迎え、続いてお母さんがお亡くなりになります。
さらに信頼していた知人の保証人となり、莫大な借金を背負うことになるのです~

[波乱万丈の人生]
国分「本当にいろんなことがある人生ですけれども。
まず結婚ですけれども、野球選手とアイドルというと、
今でいうダルビッシュと…みたいな感じの結婚だったわけですよね?」
島倉「ええ、お嫁さんになりたかったし、子供の夢だったものですから。
ちょっと夢見る夢子さん過ぎて『相手に悪かったな』って思ってます。
尽くしたつもりだったけれども、尽くしていなかったっていう。」

国分「よくこの番組で、仕事と結婚する方って多いじゃないですか、女優さんなんかでも。
島倉さんの場合もやっぱり、仕事と結婚していたっていう感じなんでしょうか?」
江原「それもそうだし、人間って不思議と頭で思っていることと、
心の方向って違うときがないですか?
だからそこが島倉さんのいろんなテーマなんです。
頭の部分、理性と感情、というところで、いつも苦しむ。
『どっちが本当の気持ちなんだろう?『どっちに進む方が正しいんだろう?というところで…。」

美輪「一般の方にもわかりやすく言うとね、通訳いたしますと、
『この人に惚れたら、えらいことになる。これは絶対いけない。』と思って
ブレーキを引こうと思っているんだけれども
『でも、恋しくて好きで好きで仕方がないの。』 これが『恋は思案の外』っていうのね。
頭、理性で『ダメだ』と思っているのと思いとは、ままならなくなるのね。」
江原「それと、もともと島倉さんの場合は、歌が天職なので。
私はよく『天職と適職は違う』といっているけれど。
適職は食べるため、 天職というのは、本当にそれだけあれば幸せ、お金にならなくてもいい。
でも、いろんな問題があったから、お金が大事って思えるようになったけれども
その前までは『歌えればいい、歌う場があればいい』と。」
島倉「そう、その通りなんですね。歌う場があればいい…。」

国分「まあでも、その借金、今のお金で換算して、16億円ということですけれども。
相当な金額だと思うんですけれども、これはなぜ、保証人になってしまったんですか?」
島倉「なっちゃったんです…。」
国分「自分が作った借金じゃないというのが、一番本当に腹が立ちますよね。」
島倉「だからいま一番ね、心して大事にしていることは、
『実印をちゃんと自分で持っている』ということです。実印を預けましたから。」
美輪「実印は命なのよ。命なの。
だからね、人に預けるということは 『命を預けました』ということなの。」
島倉「それがよく今わかります。」
国分「判子を押すとき、ちょっとおかしいな、と思わなかったんですか?」
島倉「『おかしいな』っていう余裕を与えずに、押させられたというのがあるんです…。」
美輪「うまく持っていかれちゃったのね。」

島倉「はい。ハッと思ったときは、もう押してるっていう、危なくしてると 全然知らない人からも『ここへ押してください』って言われて。
『いや、それは実印ですから押せません』というのもありました。
怖いです。だから鍵をかけてしまっておいてください。」
国分「わかりました。そうします。それでどうやって、返したんですか?」
島倉「私は夜、歌えなかったんですけれども、
キャバレーとか、クラブとか そういうところでも歌って。だから朝から晩まで働いて。」
国分「何年で返したんですか?」
島倉「15年くらい休みなくがんばって、朝も昼も夜も歌って、がんばらせていただきました。」
美輪「あなたはマンションも取られちゃったんでしょう?」
島倉「はい、もう転々としてました。トランクで荷物を持って、譜面を持って、
それで泊めてもらいにいってました、あちこち…。」
美輪「でも、あなたの人生は、波乱万丈、本当にシーソーゲームね。
何かドーンとアクシデントがあって、『もうダメかな?』と思うと ドーンとまたヒットを飛ばしたりとかね…。」

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