田中義剛
【 2008年10月25日放送】【136回】パート1
今日のゲストは、タレントで酪農家、花畑牧場を経営されている田中義剛さん。
【田中義剛 スピリチュアルチェック】
小さい頃はどんな子供?⇒きかなかったですね、とにかく
趣味はなんですか?⇒馬に乗ることです
よく見る夢⇒カビに襲われる夢です
人生で最大の転機⇒十六歳の時に1番の親友が船で遭難して死んだことですね
不思議な体験⇒その友人の葬儀の時に、お寺から家まで自転車で帰ったんですけど
家に着く一キロくらい手前で突然、自転車の電気が全部消えて…後ろに乗ってるんですね。
すごく重くて、でも後ろを振り向けなかったんですけど…、自分では
友達かな?と思います
国分「義剛さんは本当にいろんな番組に出ていると思いますけれど…。」
田中「はい、これ実は私の方から、
『聞いてみたいことがあって、ぜひ出させていただけませんか?』と、半年くらい前から
『機会があったら出させて下さい、聞きたいことがあります』と。」
国分「これは半年経って今っていうことは、いま来る意味っていうのが
多分あると思うんですよね。」
田中「俺もあると思います。」
国分「美輪さんとは…。」
美輪「もう、離婚した仲なの。」
国分「1度結婚されていて?」
美輪「はい。」
国分「そんな仲の良い。」
美輪「そう、女作って逃げられたんです。」
田中「あの、15年くらい前ですかね、
和田アキ子さんが骨折して番組を、休養された時に…
美輪さんがピンチヒッターで来ていただいて。で、和田さんの代わりに美輪さんでしょ。」
国分「これは…どんな感じなんですか。」
田中「だんだん重くなってくるじゃないですか…。」
(みんな笑い)
国分「こうやってお会いになるのは15年ぶりくらいなんですか?」
田中「そうです。や~、うれしい。」
美輪「時期が来たんだべや。」
国分「江原さんはどうですか?」
江原「はじめましてです。よろしくお願いします。」
田中「よろしくお願いします。今、50歳になったんですけど、
今だったら素直にいろいろ聞けるな…と思うんです。」
国分「と言いますと、若い頃は…。」
田中「まあ、ちょっと恥ずかしい気持ちと、 自分だけの信じるもの、
自分だけがすがるものとしてとってたんですけど、
今だったらすごくオープンにいろんなことが話せるな、と。」
美輪「丸くなったのね。頑固で『オレ様~』だったのに、ね?」
国分「本当にもう、時期が来たんだね。」
田中「時期が来ましたね~。はい。」
~北海道 中札内村 『花畑牧場』。その牧場主でもある田中義剛さん。
酪農家を目指したきっかけは、親友との悲しい別れ。
1958年3月13日 青森県 八戸 生まれ
漁師町で家業を継ぐのが当たり前の町で、数少ないサラリーマンの家庭で育った田中さん。
中学時代、生涯の友と出会うのです。~
[青森の猟師町育ち]
国分「北海道出身じゃないんですね?」
田中「青森なんです。それも八戸っていう漁師町で、1人っ子で生まれたんですよね。
周りが全部、もう漁師さんの子供ばっかりだったんですよ。
きかなくて、乱暴でね、11クラスあって。」
国分「ええ?そんなにあったんですか?」
田中「番長とか、副番長とか、そんなのがいたりしてね。」
国分「どこら辺にいたんですか?」
田中「中間のポジションを、そんな中ですね、いつも一緒に遊んでいた
昭則という友達がいまして。」
美輪「同い年?」
田中「同い年です。同級生で、その彼も親父が漁師で、ずっと一緒に遊んでいたんですけど、中学校3年生の時、学校の先生が聞くわけですよね。
『お前ら、将来何をやりたいんだ?1人ずつ、しゃべってみ。』って。
漁師のやつはほとんど『俺は船乗りになる』、で、
昭則も『親父の跡継いで船乗りになる』と。格好いいな…。
『田中、お前は?』って聞かれて『わかりません』、
サラリーマンで、継ぐものもないし、何も考えてなかったんですよ。
で、初めての漁が高校1年生ですね…。」
国分「昭則さんの漁が。」
[将来の夢がかなった]
田中「はい。初めて出漁するとき、『義剛、魚獲ってくるからよ。』って、
八戸の港に見送りに行ったんですね。
『じゃあ、行ってくるな。』と。船が大きく1週して、北の海にず~っと行くんですよね。
俺はそれを見て『格好いいな~、最高だな』と思ったんですよ。」
美輪「ロマンよね。」
[親友の死]
田中「で、俺はもう高校生活つまんなくて『何やるんだべ…』っていう風に思ってた時ですね。
で、高校1年生の夏に、いきなり船が遭難したという知らせが来たんですよね
びっくりしましたよ。
全然、信じられなかったんですけど…遺体もあがらないんです、船は…。
で、次の日の新聞に『船が遭難した』というので、写真が載るんですけど、
一番下に『コック長 大坂昭則』って載ってるんですね。
コック長というのは、一番、船の底で料理を作るので、脱出できなかった…
そんな事実が後からわかって。
かたや自分の夢を語って、その初めての夢を、目的のために漁に出て、それで死んでいる。
かたや高校でボ~っとしている…、もうわからなくなって、
それでもうずっと人としゃべれなくなって、親も心配して、
ずっとふさぎ込んでいたんですよね。
~(1973年8月オホーツク海で操業中、第85正寿丸が浸水して沈没)
義剛さんに届いた突然の訃報。船乗りの夢を歩み始めたばかりの友は、
夢半ばで帰らぬ人となってしまいました。
しかし2人の絆はかわることなく、大坂さんは義剛さんの人生を導く声となって、
心の中に生き続けるのです~
[花を手向けの北海道へ]
高校2年生になる前の春に、昭則が亡くなったオホーツクの海まで行こう、っていうので
1人でリュックサック背負って、八戸から連絡船に乗って函館について
函館から苫小牧に着いて、苫小牧から襟裳岬まで行ったんですよ。」
国分「それはやはり、見てみたい。」
田中「いや、もう花持って、とにかく『何で、なんだろう?』
もう悲しい、悔しい、『何でだろう?』というので、花持って投げて、
それで帰り道にお金が無くなって、
様似(さまに)っていう駅から戻ってきて、日高門別っていう駅で降りたんですよね。
そこは牧場しかなくて、あの、サラブレッドの牧場があって、
荒木牧場さんっていうところがあって、そこが…もう飛び込みです。
行って『すみません、働かさせて下さい。』と。
そうしたら場長さんが『お前、家出か?』
『いや、家出じゃねえ。友達が実は…』と言ったら、働かせてくれたのね。」
国分「へえ~。」
[北海道で出合った牧場]
田中「で、1週間、泊めてくれて。
『馬の世話、やるべ』と、それから3日したら朝4時くらいに、
『馬が出産する、と。義剛、お前も来るか?』で、行ったら…初めて出産って見たんですよね
馬のね。でっかい馬が横になって、破水して、顔が出てきて、引っ張って。
引っ張ったら、もうその瞬間に立とうとするんですよ。
ダッと立った瞬間に
朝日がガーっときたんですよ。」
美輪「素敵ねえ。」
田中「そのインパクトが、すごかったんですね。
で、かたや俺の友達は死んだ、かたや生まれる。
その現場にあった時に『これは、牧場やれ』ってことかな?と。」
国分「16歳の頃にもう、そう思われたんですか。」
田中「16歳の時にそう思って、これをやれば、いいんだろ?と思って
『よし!』って開き直って、そこからまた元気になって、
青森に帰ったっていうのがスタートです。」
国分「やればいいんだろ?っていうのは、
その親友の人に聞いてる感じなんですか?」
田中「そうです。全部そこから、問いかけだったんです。
『お前は、夢が叶えられなくて死んだべ。俺、叶えてやるから。
だけど俺は漁師できないから、そこで出会った牧場やれば、いいんだろ?
やってみせよう』と思ったのが16の時だったんです。」
~襟裳岬で花をたむけ、友の冥福を祈った帰り、偶然立ち寄った牧場で見た新しい命の誕生。亡き友が牧場をやれといっている。義剛さんはそう確信したのです。
生まれてはじめて抱いた夢。しかし厳しい現実が待ち受けていました。~
[無謀な夢]
田中「あとで先生、聞きたいんだけどさ、『バカでねえか』と思うんだよね、自分で。」
国分「いや、それは何とも言えないですけれども。」
田中「あの、『牧場、やれる』と思ってたんですよ。北海道って、適当に鍬(くわ)で開拓したら自分の牧場で、そこに牛を放せば牧場できるという考えでいたんですよ。」
国分「それは馬鹿ですね。」
田中「馬鹿でしょう?」
美輪「いえ、子供はそうなのよ。」
田中「で、大学の先生に、大学4年の時に『先生、牧場を俺はやるんだ』と言ったらさ
『お前、金あるのか?』って言うんですよ。
『金って何ですか?ないですよ、うちはサラリーマンだし…』
『お前、牧場やるのに最低、2億かかる』って言われたんですよ。
『土地買って、牛買って、サイロ建てて、機械買って、2億…どうやって準備するんだ?』
で、うちの親父に電話して『親父、2億ねえか?』っていったら『お前、バカか!』って。」
(みんな笑い。)
田中「もう、それで終わりじゃないですか、普通。で、俺みたいなバカが何人かいたんですよ。
そいつらはみんなちょっと修正して、酪農関係の就職につくか、
どこかの牧場に就職するんですよ。
でも俺は、『牧場のオーナーになって、自分の牧場を作る』って決めていたので、
2億を作らなきゃいけないんですよ。」
国分「その強い思いは、どうしても諦めることができないんですか?」
田中「これは譲れない。もがき苦しんで、どうやったら2億、どうやったら2億、って、
そうした時、ラジオから『め~ぐ~る~♪(季節の中で)』って
松山千春さんが歌っていたんですよ。
『何だ、この人?』と思って。
田舎から出てきて、ギター1本でビッグになって、お金稼いでたわけですよ。
これしかねえ、と。
何か、足寄から出てきて、ものすごく田舎くさい人だったんですよ。
松山さんができるんだったら、俺もできるべ、と思って
ラジオのオーディション受けたんですよ。はい。そうしたら。」
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