高見沢俊彦
【 2007年07月28日放送】【104回】パート2
今日のゲストは、シンガーソングライターで、THE ALFEE(ジ アルフィ-)の二代目リーダー高見沢俊彦さん。
パート1からの続きです♪
[詩人に憧れた]
国分「まず小さい頃なりたかった、憧れていたというのが詩人ですか」
高見沢「そうですね、まあ父親が教師をしていたもんですから
本が沢山あって。詩人の色んな本もあったんですが
けっこう難しい字が、たくさん、こうタイトルにあるじゃないですか
例えば佐藤春夫『永遠の憂鬱』。憂鬱が読めないんですよね。
父親に聞くと『今は読めなくてもいい。いつかそれがわかる時が来るまで読めなくていい。
これは詩人の魂が入っているから』
そういうことを聞くと、詩人ってすごいなあ、と。
それで読むようになって、意味はわからないですけれども。
あとはボードレールとかヘッセとか、普通に憧れていましたね」
(ボードレール1821~1867 フランスの詩人)
(ヘッセ1877~1962ドイツの詩人・小説家)
国分「お父さんはすぐにそのとき教えるのではなくて
いつかわかる時が来る、と」
高見沢「ずっと言っていましたね。それをすごく覚えているんですけれども」
美輪「素晴らしいお父さまに育てられて、お幸せでしたね」
高見沢「ありがとうございます」
国分「お父さんも、やっぱり同じような衣装で?」
高見沢「いえいえいえ・・・父親は本当に、もう昔かたぎの、
校長までやっていましたけれども」 国分「校長先生」
高見沢「行った高校、全部丸坊主にしたくらいな短髪好きな・・・」
国分「それ、校則を変えて?」
高見沢「変えてまでしちゃうというような。結構厳しい父親でしたね」
国分「うわーすごいですね。
じゃあ高見沢さんも、坊主にしているときというのはあったんですか?」
高見沢「坊主までは行かなかったですけれども、運動部のときはやっぱり短いんですね。
だから僕もバスケットをやっているときは、耳に髪がかかったら
もう、嫌で嫌でしょうがなかったんですけれども。
いまは耳が見えませんけれどね
そのぐらい、髪の毛が短い方が好きでしたね」
国分「そのぐらい、バスケも・・・」
高見沢「真剣にやっていましたね」
ただ、身長が足らなかったことと、技術的なことでバスケットに挫折してまいまして。
諦めちゃいましたね、スポーツは」
国分「そこで何か楽器と出会ったりするんですか?」
高見沢「小さい時、ちょっとピアノも習ってたんですけど。 それも挫折しちゃって。
で兄貴がギター持ってたんで。 それを子どもの時から触ってはいましたけど。
だから音楽は常にありましたね」
国分「音楽と文学が、周りにあったんですね」
高見沢「そうですね、自然にありましたね。
だから本を読む事に関しては抵抗が無かったですね」
美輪「お幸せでしたね」
江原「そういう部分で、何て言うんでしょうね。
お父さまと通い合える部分があってよかったですよね。
質がまるで違っていましたものね」
美輪「そんな格好をしていらしたら、お父さまはそれこそ、気絶するから。そういう方よね」
高見沢「そうですね。やっぱり『自分とは全く、真逆な人間になってしまった・・・』
みたいな感じで・・・」
江原「けれど、そのアーティスティックな部分で、文学という共通言語を持っていたんでね
ですから、そこで歩み寄れたけれども・・・いろいろと葛藤があったと思いますね」
高見沢「そうみたいですね。一度ね、父親に、まだ生きている頃ですけれども
『なんでお前はそんな格好をするんだ?』って事をいわれたことが・・・」
美輪「ふふふ」
国分「いくつくらいの時ですか?」
高見沢「そうですね・・・30代くらいの頃。
『何でそんな格好をするんだ?』と言われても答えようがないから
『別に・・・』って、大した反応もせず。ちゃんと言っておけばよかったなあ…」
国分「失礼ですけど、お父さんは、いつ頃亡くなられたんですか?」
高見沢「この4月なんですよね」
国分「あ、そうなんですか」
高見沢「ええ」
~文学という共通の趣味を持ちながら
息子を理解出来ぬまま亡くなった父。
一見、平穏に見える家族の中で高見沢さんが抱いた微妙な心理。
そして、父の本心を江原は感じていました~
[父との心の壁]
江原「それで会話していてもええ?っていう顔をされるのがものすごく怖い。
それがいまだにトラウマになっていて、ご家族で食卓を囲んでいても
普通に会話したつもりがええ?っていう顔をされると
あ、また変なことを言った、?って自分の中でね」
高見沢「それはありますね。自分で作ったものが、詩でも、え?これがいいの?と、
思われるのがすごく嫌で、完璧なものを作らないと、
誰もが『OK!』と言うものを作らないと、見せたくないなっていうか」
国分「そういう人が一人でもいると、不安ですか?」
高見沢「不安ですね」
江原「でも、本当は理解しようと努めてくださっていたんですよね、お父さんは」
高見沢「多分、そう思うんですよね」
江原「だから本当は理解したかった、けれども自分自身の方が
あまりそういう感性が豊かではないんじゃないか、っていう風に
逆に自己否定の方にいっていたんですよ」
美輪「つまりお父さまはね、戦時中育ちの、そっちの方のトラウマから
抜けられなかった方なんですよ」
江原「お父さん自身が、ぬくもりの感じられない家庭の中で育った方らしいんですよ。
そのトラウマで、どう接していいかわからなかったんですって」
高見沢「ああ、ちょっと複雑な・・・」
江原「だから実はお父さんこそ、正常な父としての愛、
情とか、人としての愛念、愛情というものがわからずに、
わと暗中模索していた、試行錯誤というかね。
本当はよき父として、父の愛情とか、そういったものを
きちんと表現したいと思いながらも、時に高圧的に出てしまった。
でも、内面、実は自分の方が不安で。
自分の方の考え方が、やっぱおかしいのかな?と」
高見沢「そっか、なるほど」
江原「おじいさんとかもおっしゃるんですが、高見沢さんがここに来られた理由のひとつは
家族トラウマを、今日こそ抜け出る事によって。
チェックでも言っていた『孤独感』も、普通の、皆さんの共有する孤独感とは違っていて
高見沢さん独自のもので。
一番の身内であると思っている人の顔色を見ながら来た部分があって。」
高見沢「ありますね」
江原「いまこうやって、一見はじけて見えるんだけれども、今もなお
常に自問自答の中で、はじけ切れていないんですよ。どこかで自分で
いかん、とか、おかしいんじゃないか、とか」
高見沢「そうですね」
美輪「原罪意識で、罪の意識がどこかおありになるのね」
江原「最後はほとんど会話にならなかったですからね。
だから、言えないで終わっちゃってるんですよ」
高見沢「ええ、そうですね。そこが、やっぱりちょっと自分としても」
江原「本当はお父さんの望みだったんですよ、
自分の生い立ちから全部話して死んでゆくのが」
高見沢「僕もね、それは聞きたかったんですよ。
いつか聞こう、聞こうと思っているうちに・・・」
江原「伝えて死ぬつもりだったんですよ、けれどもそれができずして
体の方がガタンと来てしまったものだから、語りたい思いばかり持ちながら生きて
亡くなっている。表現方法、自由を奪われちゃったのでね・・・」
~高見沢さんが感じていた孤独。父親との心の壁。
その一方で父もまた複雑な思いを抱えていました~
[父の思い]
美輪「でもお父さんは、書籍か何かで
それを暗示するようなことを残していらっしゃる感じがするわね」
江原「そうなんです。日記かなにか、そういうようなもの」
美輪「お聞きになっていない?お家の中にそういうもの、残っていません?」
江原「まだ整理されていないから・・・整理しないと出てこないと思います」
高見沢「まだですね」
美輪「それをご覧になればわかる」
江原「だから本当の気持ちというものを知ると、まったく見方が変わってくると思いますね。
だから。本当の意味での孤独は、このお父さんの事、指すと思いますよ」
高見沢「そうかもしれないですね」
江原「お小さいときから自分の意思を述べたことがないし
世間の中で負けない生き方をするとか、そういうことだけにこだわって
必死に精一杯生きてこられたから。
だからいつも何となく冷えた家族だったんです。
お母さんにしてみても、『何で夫婦でありながら、みんなが腹を割れないの?っていう」
高見沢「そうなんです。団らんはありますけれど、みんな個人、個人なんですよね。
それが当たり前ですからおかしいとは思わなかったんですけど」
[アルフィーとの出会い]
江原「だからメンバーとの出会いで、初めて兄弟を知ったと思いますよ。
要するに
おい、ってこう手を引っ張ってくれるとか、どうしたいの?とか聞いてくれたり。
最初は戸惑いがものすごくあったと思う」
高見沢「ありましたね」
国分「かなり濃いお話になりましたね」
江原「それを伝えることを望まれて、ここに来ていらっしゃるんですよ。
まずその土台の、昔を解かないと次に料理できない。
素材は洗って下ごしらえしないと料理できない」
美輪「次に進まないの」
国分「今の話が下ごしらえですか?」
美輪「そう」 高見沢「これメインじゃないんですか?」
美輪「いいえ、下ごしらえ」 国分「濃いですよ」
高見沢「そっか。ちょっとサングラスしていいですか」 (サングラスを掛け直します。)
~江原が、いきなり霊視を始めたのは
父親との微妙な葛藤を紐解いておかなければ
今夜の大切なメッセージに進めないからなんです。
そして、その前にもう一つ重要な出会いが~
国分「そして人生の転機、アルフィーのメンバーとの出会いと」
高見沢「そうですね」
国分「皆さん同級生ですか」
高見沢「同級生なんです」
国分「どこで出会ったんですか?」
高見沢「桜井とは、白金の明治学院高校の同級生で1年から出会って。
坂崎とは、その上の大学明治学園大学で、出会ったんですけどね」
(桜井賢…明治学院高校の同級生)
(坂崎幸之助…明治学園大学の同級生)
高見沢「高校時代は、桜井はフォーク、アコースティックグループをやっていて
僕はロックグループで、もうもう敵対してるんです。
相容れない世界で、 お互いに存在は知っていましたけれども、
あまり口をきいたことはなかったですね
で、大学に入って、坂崎が僕と知り合うようになって。
彼は、桜井とバンド組んでましたから。で、僕のギター少し弾けるのを知ってて。
で一人、その彼らのバンドの人間が辞めたんで。
手伝って欲しいという事でサポートメンバーとして 僕が、その今のアルフィーに入った」
国分「そうなんですか」
高見沢「だから僕、サポートで入ったんです。そのまま今、ここにいるわけですけれどね」
国分「必然ですよね。絶対これは」
高見沢「出会ったということは、非常に。いて楽しかったですよね」
国分「そこで生まれたジャンルというのは
もうフォークでもロックでもない感じなんですか?」
高見沢「いや、でもアコースティックでした、やっぱり。僕が合わせていました」
美輪「やってみてどうでした?」
高見沢「最終的にはやっぱりロックの方がいいなと思いましたけれども。
僕は音が激しい方が好きなんですね。
ずっと同じ、静かな、ピアニシモでいくのはちょっと何か。
最後はフォルテでガーンと行く方が好きなものですから」
(ピアニッシモ…きわめて弱く)
(フォルテ…強く)
美輪「だってロックは、始めから終りまでフォルテばかりじゃないですか」
高見沢「そうですね。ですからアルフィーに入って僕がロックをやることによって
最初はアコースティックで始まって、だんだん音が厚くなって、最後はうるさく終わる。
静かに始まって、うるさく終わるこのパターンが」
美輪「それは音楽の本質ですよ。」
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