戸田恵子

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【 2007年08月25日放送】【108回】パート1

今日のゲストは、アンパンマンなどの声優としても活躍している女優の戸田恵子さん。
2006年12月に俳優・井上純一さんと離婚しています。

~1957年 9月12日 愛知生まれ
人前に出るのが大好きだった少女は児童劇団に入団
その後、アイドル歌手としてデビュー
アニメの人気キャラクターの声を演じるなど
様々な経歴を積み女優として花咲きました
その一方で、ガンを患い認知症となった母を最期まで自宅で介護。
幾多の苦難を乗り越えてきた彼女が
今夜、オーラの泉に訪れた理由とは

[今日、一番聞きたい事は?]
戸田「やはり、2年間他界した母の最期が
ずっとずっと気になっていて
どんな風にうちの母は、思っていたのかなー?っていう事が
何かすごく知りたいというか…

魔女の宅急便

~戸田恵子さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【戸田恵子 スピリチュアルチェック】
小さい頃なりたかった職業⇒音楽の先生
自分の性格をひと言で⇒穏便にすませたい平和主義者
不思議な体験⇒九死に一生を得る体験を何度かしていますbr /> スノーモービルで崖から落ちて飛んでも助かったとか
熱気球に乗っていて林の中に突っ込んで助かったとか
毎日欠かさずすること⇒母のお仏壇に手を合わせることと、お花を供えること
あなたの耳に心地よい音が聞こえてくるとしたら?⇒母が亡くなる直前に
歌をよく歌っていたので、その優しい、細い、きれいな母の歌声でしょうか

国分さんと戸田さんは去年ドラマで共演されていたそうです。
その頃から出てください、といっていたそうですが、スケジュールの都合などで、
一年越しで出られることになって、うれしいそうです。
美輪さんとは初対面だそうですが、渋谷ジァンジァンの頃からライブをみていて、
パルコ劇場の音楽会もみにいっているのだとか。
(渋谷ジァンジァン⇒東京渋谷にあったライブハウス。  2004年4月に閉館されました。)
戸田さんが見に行かれていることは美輪さんは知らなかったようです。
美輪さんを見ていると、包まれる感というか
お腹の辺りがシュワーっとあったかくなる感じで、
すごく元気になれるとのこと。

江原さんと、偶然に会ったことがあるそうです。
戸田さんのお母さんが2年前に他界してすぐの時期に、
かなり落ち込みがひどい時に大阪のホテルで、たまたま食事をしていたのだそうです。
それでフロントに行ったら、江原さんの姿があり、
なりふり構わずお声をかけてしまったそうです。

戸田「そんなことってあります?あんまりないでしょう?
お酒の入っていたのも手伝ってか『江原さん!』って声をかけてしまった。」
美輪「いえ、それはあなたじゃないから。かけさせたの。」
国分「お母さんが声をかけさせたということですか?」
美輪「そうそう。この方の落ち込みがひどいので、お母さんがそういう風に。」
戸田「そうですか。私、そのとき鳥肌が立ってしまって。ロビーで少しだけお話して
『落ち着いたらぜひ、機会があればという風に思っています』ということをお伝えして。」
国分「じゃあ本当に、今日だということですか?」
江原「でもね、今日の方がよかったみたい、2年経って。今ちょうどいろんな意味で、 戸田さんご自身が切り替えのときに来ていて、ひとつのスタート時期でもあるんです。
新たなスタート時期、お店とかでいうなら、仕入れ時みたいな感じ。」
美輪「開店前の。」
戸田「今からまだ開店できるんですよ、うれしいですね。」

~幼い頃から人前に出るのが大好きだった戸田さん。
小学6年生の頃、児童劇団に入り、
NHKの中学生日記に出演した事もありました。
その頃、両親が離婚。母が1人で戸田さんを育てる事に。
高校生の時、スカウトされ母親と離れて上京
あゆ朱美としてデビューしました。
しかしヒット曲が出ず不遇の時代を過した事もありました。~

[児童劇団から歌手へ]
国分「小学校6年生で、もう、女優さんとしてテレビには出ていたんですか?」
戸田「女優といってもお遊びの延長といいますか。」
国分「自分でやりたいと言ったんですか?」
戸田「いえ、母が新聞の切り抜き、募集要項を見て、NHKの児童劇団に応募したんです。」
国分「習い事も、相当やっておられたみたいですね。」
戸田「そうなんです。お茶、お花、詩吟、剣舞、ピアノ、バレエ。」
国分「ええっ?」 戸田「とにかく忙しい子供だった。」

江原「習わせていただくだけじゃなくて、
戸田さんご自身が、お母様の夢の塊りでしたからね。」
国分「お母さんはそういう華やかな世界とか、女優さんとか
そういうものに憧れを持っていた?」
江原「本当は大好きです。だから自分ができなかったことを、
全部、戸田さんが果たしてくれてる。」
戸田「そうですね、華やかなものが大好きでしたからね。
特に舞台でも歌ったり、踊ったり、
ミュージカルだったり、お衣装がきれいだったりするのが単純に好きで。」
江原「働きっぱなしの人生でしたから。自分には縁がない、と決めていたから、
それを全部、戸田さんに。華やかなもの、美しいものが大好き、花ひとつでも。
でも生活の中には、そういう時間も心も余裕がなかったから。」

国分「お母さんはどんな人だったんですか?」
戸田「非常に気が強く、几帳面で、用意周到で、次の日の支度なんかは絶対、 前日にするタイプ。
子供のときも、いつ寝ているときに何があるかわからないから、『羽織るものを必ず 自分の布団の上に掛けて寝なさい』、と。
時間に絶対遅れることはないし、キチンキチンとしていて。」
美輪「そういうところを受け継いでいらっしゃるでしょう?」
戸田「はい、異常に受け継いでしまいました。」
江原「プラス、人情もろいところも。」
戸田「はい。」

国分「15歳でデビューして、どうだったんですか?」
戸田「もう全然ダメだったんですね、これがもう。
ギャフン、と言わされるんですけども。
子供心に自分の位置っていうのが分るわけじゃないですか。」
国分「はい。」
戸田「どれぐらいの今ポジションにあるとか。」
国分「えっと同期って?」
戸田「テレサ・テンさんとかね。」
国分「はあ。」
戸田「ねえ、麻生よう子さんと。
結果、うまくいっていないということに自分で、
『どうしようかな』といろいろ悩み出した。
結局19歳で、20歳になる年には芸能界を辞めようということを 決心したんですけれどね、10代の最後に。
母がずっと見てくれていて『がんばれ』とも言わないし、
かといって見放しているわけでもないし、何かこう、ただ見守っていてくれた感じが。」
国分「はい。」
戸田「私のポスターですごく寂しい憂いを帯びた歌手のときのがありまして、
時々それを見て。
辛そうだね、悲しそうだね、とかチラッと。
そのポスターが時々ぺランと家で剥がれてるんですよ。」
国分「切ないですね、それは。」
戸田「ちょっとそれを何か直してね、それを見ちゃあ。
ボツッて、そんな事を言ったの覚えてますね。
後はね、何も言いませんでしたよ。」
国分「ええ、そうですか。」
戸田「はい。」
江原「でも、ほら欠かさずしてくれたのは、いつも戻ったり会ったりしたときは必ず、 お茶をいれてくれましたでしょう?
そのお茶をいれて、まったりとした時間の中に、一生懸命思いを込めてるんですね。
だからそこにやはり応援があるんですよ、あのお茶に。」

[母の思い]
美輪「お母さんは言葉のかけようがなかったの。もう辛さがわかるから。
それであなたは意地っ張りで、誇りが高くてプライドがものすごく高いから
周りの人が売れていく、自分は置いてきぼりをくう。
もう我が娘だから、手に取るようにわかるから。
プライドが高くて意地の強い人であればあるほど、惨めさも奥が深いのよね。
それがやはり母親としては、言葉のかけようがないのね。
下手に言葉をかけたら、プライドが傷つくし。」

江原「お茶をいれれば、その時の状況がすべて、手に取るようにわかるらしいんです。
そういうときは何も語らない方が…。
ため息をついたり、表情でだいたいわかる。
美輪さんがおっしゃったように、
そこで、『私も辛いの』、と言うような娘さんじゃなかったということ。
何も語らない、気を抜いているときの方が本心が見えるということ。」
国分「そのお茶の時間というのは、何となく覚えていますか?」
戸田「何か今、よみがえりましたね。
全然、忘れていたことなんですけど。」
国分「これは僕も、実家に帰ると母親にお茶をいれてもらうことがあるんですよ。
そのときの空気って、会話をするわけでもなく。
もしかしたら僕のため息を聞いているのかもしれないなって、今、思いましたね。」
江原「見てないようで、見ていたり。」

美輪「世の中にはね、黙っている方が百万言に勝る場合があるの。
『言わず語らず我が思い』。」
国分「母ちゃんってやっぱりすごいですね。」

~歌手をあきらめ、舞台女優の道を歩み始めた戸田さん。
意外な所で注目される事になりました
子供達に大人気の『アンパンマン』。『ゲゲゲの鬼太郎』など、
数々の人気キャラクターの声で、見えない人気者になったのです
またジュリアロバーツやジョディ・フォスターなど<、br /> 大物女優の吹き替えも、戸田さんの声でした。
そして脚本家・三谷幸喜との出会いにより、
戸田さんの評価は一気に高まります。
舞台・映画に活躍の場を広げた戸田さん。
しかし、その一方で、ガンに侵され、さらに認知症になった母を、
最後まで自宅で介護し続けていたのです~

[亡き母への思い]
国分「毎日欠かさずするのが、お母様の仏壇に手を合わせること。」
戸田「そうですね。お線香をあげて、好きだったものを供えて、お花をね、
ものすごい、何だろう。もしかして自分の気持ちが落ち着くためなのかな、
とも思ってしまうけれども。 とにかく、飾る飾る。」

国分「お母さんのお好きな花を飾ったり?」
戸田「それがね、ちゃんと聞いておけばよかったですね。
何の花が好きなのかがわからないんです。
でも、美しいものが好きなのは間違いないんだけれども。
あと1つは、私が子供の時からずっとこういう仕事をしてきたので
なるべくそういうことを人に言って欲しくないというか
それで特別扱いされるのが困る、という思いもあって、
母に 『言うな』ってずっと言い続けてきたんですね。
後々になってなんですけど、
わりと言いたかったんだな、というのがわかるんですけどね。」
国分「僕もそうですけど、子供の頃からやってると僕らはテレビに出ているけれど
両親の気持ちというのは、聞いたことがないじゃないですか。
言いたいのか、でも子供としては、『自慢とかしないでくれ』っていう風に思いますものね。」
戸田「そうなの。すごく気持ちはよくわかるんだけれども、何かね。」

国分「えっと2年前に。」
戸田「はい。2年前の6月、今年3回忌だったんで。」
国分「病気というか。」
戸田「はい、もう10何年も肝炎で、そこから肝硬変、ガンになってしまって。
わかったころにちょっと認知症が出てきて、ダブルパンチだったんですけれども。

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