戸田恵子

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【 2007年08月25日放送】【108回】パート3

今日のゲストは、アンパンマンなどの声優としても活躍している女優の戸田恵子さん。

パート2からの続きです♪

ラヂオの時間 スタンダード・エディション

[母の最期]
戸田「放射線治療というのは、週末、家に帰って来られたんですね。
週末帰って、また月-金で病院に行って、ということで。
最後、家に戻ってきて連れていく日曜日に、吐血していたんです。
私は仕事でちょっとロケに行って帰ってきて、
連れて行こうとした間の家での出来事で、
母はそれを私に言わなかったんです。」
美輪「その間は、どなたもいらっしゃらなかったの?」
戸田「はい。もうお支度をして、ベッドのところに小さく座っていて、
それがもう忘れられないんですけど。
その間に起きていたことが私にはわからなくて。
母を車に乗せて病院に行って、『また明日来るからね』
エレベーターのところまで、 いつも送ってくれるんですけれど、
その後、打ち合わせの仕事に行って、夜遅くに帰ったら、
『洗濯物をここに置いてね』という場所、
そういうことはちゃんと置いてくれるんですけど、
そこにもう真っ赤になった血だらけのパジャマが置いてあったんです。
びっくりしてすぐ病院に電話して。
とにかく朝、先生が来たらそのことを伝えて。
『どこかから出血してるんです。』、と言って。
その日の明け方に『リーン!』と電話が鳴って『あ、何かが起きた』ってその時は予感が。
『お母さんが今、病院ですごく吐血をしました。いますぐ来てください。』、 ということで、もう車を全速力で行って。
最終的には治療ができなくなってしまって、
肺に入って肺炎になって
それが原因で亡くなってしまったんですけれども。
今にして思うと、最後、家にいたときに<、br /> どうして言わなかったのか、言えなかったのか、
私に怒られると思ったのか、
悪いなと思ったのか。怖かったと思うんですけど、
それすらも、自分で何が起きたのがわからなかったのか。
そのことがずっと気になって…。」

江原「ご本人としては、意識があまりなかったんですよ。
迷惑をかけるとか、怒られるとかそういう意識があったなら、気の毒なんだけれども、
認知症の要素が強いから、その場面とそこから切り替わった後のつながりがないんですよ。
だから自分の中で『あれ、どうしたのかしら?』となるような状況だったようなんですよ。」
美輪「意識がおありだったら、そういう方だから、
後始末をしようとした跡があるはずなんですよ。
その跡が全くないということでしょう?
ということは、次の方に思考が移ってしまって、
それを、忘れていらしたのね、多分。」
戸田「何かちょっと…よかったです。
母がそういう状態であったということがわかって。」

江原「失礼ながら、ある意味で幸いだったかなと。
特に気丈な方だったから、
刻一刻と弱っていく自分に気づいていく方が辛かったろうと。」
戸田「そうですね。」

~認知症のおかげで、吐血した事もすぐに忘れてしまい。
恐怖心も怒られる心配もなかったはず。
戸田さんの気がかりは一つ解消しました~

江原「お母様亡くなられた後、夢をごらんになります?」
戸田「いや、あまり見てない。」
江原「見てないでしょう。」
戸田「はい。」

[母は今も]
江原「今日、どうしてこうやっているかという1つのきっかけは
実はお母さんは戸田さんの中にいるの。
これを世間では憑依というんですけれども、
さっきほら、お花も何を選んだのやら、って言うけども。
衝動的に選んで買っているはずなんです。それはお母さんが選んでいるんです。
どうしてなのかな?と思うときがおありになるはずなんですよ。」
国分「戸田さんが選んだお花というのは、お母さんが…。」

美輪「戸田さんは、普通に常識的な意味でお花を選ぶわけですよ。
お母さんはきれいなものが好きだから、きれいなもの、
ところがお母さんは認知もあって少女の気持ちに戻っているから、
もっと、あれもこれも、ってなっちゃうの。」
戸田「そうそう。」

国分「ご自分の近くにいるなということは。」
戸田「わからないんですよ、残念ながら私には。」
江原「気質が似ているから、気づきにくいんです。
やることなすことが似ているから気づきにくい。」
美輪「それとね、乗り移られた人はわからないのよ。
私なんかしょっちゅう乗り移られるんだけど、亭主も子供もいないのに、
どうして子供たちはちっとも言うことを聞かないし、
亭主は働かないで寝てばっかりいるし、
何で私がこんなに苦労しなくちゃいけないの?と。そういう風に思うわけですよ。
後でお経を上げているときに出てきたのが、その人は叔母だったの。
私は、その時は自分だと思って。自分なのに何でこんな事、思うんだろう?と思うわけ。
もう分らないの、ね?」

江原「ありますよね、そういうのって。」
国分「それは、どうなんですか?悪い事ではないんですか。
ご家族の方が、憑依するという事は。」
江原「ま、悪い、悪くないというのはもう少し経緯を見てなんだけど。
実は、戸田さんの場合は、決して悪いわけじゃなくてね、
やっぱり、今まで接せられなかった分の、
戸田さんの生活から何かを見届けたいっていう思いでいて。で
実は先、リニューアル・オープンて言ったでしょ。」
国分「はい。」
江原「それは、お母さん自身のある意味で 旅立ちの日であるわけなんです。」
戸田「うん。」

江原「あのね、『もう1人で大丈夫だね』って、お母さん言うの。
江原「だから戸田さんにとってみたらば。ずっと、どこかでね、
そうは言ってもう二人三脚の部分がすごく強くて。」
戸田「はい。」
江原「変な言い方ただけど、
息してるだけでもいいからいて欲しかった、という思いが強かったでしょ?
別に元気にならなくてもいいから。
死ぬ事さえしないで、息してるだけでもいいから、いてくれてれば自分は頑張れる。でいて。」
美輪「愛の賛歌ですよ。」

江原「お母さんが亡くなったときに、どこかで、
『帰る人がいなくなっちゃった』という気分があって、
『私はこのお腹から出てきたんだよな』というような。
お母さんも『もう少し』と思ったんだけれども、早くそうなってしまった。
だからしばらくは、もう三回忌を迎える今日までそばにいて。
『だけど、もう1人でやっていけるね。
これ以上はお母さんは足手まといになっちゃうから』
だから変な言い方だけれど、自立した憑依というか。」
美輪「だからお母さんも、もうそろそろお上がりになって、
楽におなりになればいいのね。」

江原「ひとつ間違えてはいけないのは、この憑依はお母さんのためじゃなくて 戸田さんのためだったんです。
ご自分が苦しくてということではなくて、戸田さんのためだった。」
戸田「そうですか…。」
江原「昔からお母さんが気にしていたことは、離れて暮らしていて、時々やってきても、 すぐ帰っちゃうんですって?
『どうしてこの子はすぐ帰っちゃうんだろう?
そんなに意地張らなくていいのに。』とずっと思っていたんですって。
この憑依した2年間は、今までのお母さんの人生ではなかった時間。
でもね、旅行に連れて行ってもらったことをすごく思い出として、
『私はね南国がね』、南国って言い方する。
南国が好きでね。本当に気持ちのよい、 楽しい思いをさせてもらった、と。
こんなに楽しいところがあったのか、食べるときも楽しかった、
何をするときも楽しかった、という思い出にいっぱいひたらせてもらっています、と
おっしゃる、覚えていますか?」

戸田「忙しくしているので、なるべくたくさん旅行には行こうと思って、
ハワイに行ったり、特に気に入っていたみたいで。
後は近いところで韓国とか香港とか、
うちの母は、若い頃海外旅行なんか行っていませんから、
初めてハワイに行ったときは本当に喜んでくれて。」
美輪「じゃあ、そういう思いを全くしないで亡くなったんじゃないから。
そういう思いを一度もしないで亡くなる方って多いじゃありませんか。
そういう方から比べれば、お幸せだったのね。」
戸田「ありがとうございます。」

江原「『これからは自由に生きなさい』って。
『自分のために時間を使って、自分のために自由に生きなさい』
『人にとやかく言われてとかで考えるのではなくて
自分がやりたいことを、やりたいようにやっていきなさい』。」
美輪「やはりお母さんのことだけじゃなくて
ご主人のこともあったし(ご主人の井上純一さんと離婚)、自分の仕事のこともあるし
そういうものが全部ごった煮で、八方塞りで。」
江原「お母さんが『気にして仕事をしていたら辛いよ』と。」

美輪「とにかく、苦労と馬力と努力と、その繰り返しがずっと続いてきた方なの。
今までの人生で、精神的にも肉体的にも、気の休まる暇がなかったでしょう?
波乱万丈だったのね。2、3ヶ月だったらいいけれど、ずーっとでしょう?
よくなさったわよね、本当に天晴れだわ。
普通だったらへこたれる、オーバーヒートしますよ。」

~思えば、母の介護に限らず、常に苦労を抱えて来た 戸田さんの人生。
そこにはスピリチュアルな理由がありました~

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