武田鉄矢

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【 2007年09月01日放送】【109回】パート1

今日のゲストは、歌手でもあり、俳優、タレントの武田鉄矢さん。

【オープニング】
国分「ヨイトマケの唄はお母さんの事を歌った歌ですけども、
今日のゲストも、お母さんの事を歌って大ヒットした方なんですけれども。
どんな印象ですか?」

美輪「すごく男らしい、潔い人だなと思ったの。
私の方へ歩いていらしたの。
そして『あなたに謝りたいんです。』っていうの。
『実は僕の「母に捧げるバラード。」は、
あなたの「ヨイトマケの唄。」のパクリでした。』と。
ご本人がね、はっきりスパっと言ったの。」
国分「ええ!?今じゃ考えられないですね。」

国分「どんな印象ですか?」
江原「『金八先生』を最初から、私は世代的にタイムリーで、ちょうど中学生で。
同じようなシチュエーションで、また近い地域に住んでいましたので、
非常に親しみをドラマの中に感じさせていただいたんですけれどね。」
国分「僕が『オーラの泉』をやっていてすごく感じるのは
先生という部分もやはり必然じゃないかと思うんですよね…。」
美輪「あ、そうですか。すごいですね、素晴らしい。」
国分「ちょっと分って来たのかな。」
美輪「ははは。」

~1949年4月11日 福岡県生まれ
タバコ屋を営む一家で5人兄弟の末っ子として生まれた少年は
国民的な俳優へと成長しました
そんな彼が今夜一番聞きたい事とは?

[今夜、一番聞きたい事は?]
武田「誰かの人生の続き生きてるんじゃないか、って
気する時あるんだよね。
パスされたボールを今、自分が蹴りながらドリブルしてる、っていうね。
一体、誰から回されたボールを今、自分がドリブルしてるのか、
パスした前の人、僕の、前の人の名前が分ると、姿が分ると思いが分る、と…

3年B組金八先生 THEME SONG COLLECTION(DVD付)

~武田鉄矢さんさん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【武田鉄矢 スピリチュアルチェック】
自分の性格をひと言でいうと⇒臆病というか、不安がるタイプです
小さい頃はどんな子供?⇒ぼーっとした子でした。空を見たまま動かなくなったり
菜の花畑に突っ立って動かなかったり、のどかなぼんやりした少年でした
何か怖いもの⇒減っていくお客っていうのが怖いです
家族の優しさ、思いやりを感じたのは⇒仕事が順調な時より順調でない時に
主に女房からかけられた言葉が全部励みになっています
いちばん2人で苦労している時に女房が笑いながら
『周りをしっかり見とこうね。ここがどうやらどん底らしい』と言った言葉が
今だに強い励ましの言葉で胸に響いています
人生の目標⇒今ははっきり目標を定めましたけれども、武田鉄也になり切ることです

国分「先ほど美輪さんからお話がありましたけれども、パクった話をね。」
武田「あの歌を作ったわけは、仲間3人で、僕が詩を書いて。
『ギターを適当に弾け』と言ったら仲間が適当に弾くわけよ。
その時に3人で適当に歌っていた歌の中で、
『今もー聞こえる ヨイトマケーの…』
ギターの切り方を変えようって、
『今も 聞こえる あの おふくろの…』わかんねえ!って。」
国分「なるほど、切る場所を変えて。」
美輪「普通だったらシカトしちゃって、そうじゃないような顔をするじゃありませんか。
というのは私も『あれ?』と思っていたんだけど、
直球で言われると、逆に尊敬しちゃったわね。」
武田「何をおっしゃる。とんでもございません、ほんとに。」

国分「どうですか、美輪さんの存在というのは?」
武田「やはり、九州から出てきた人間にとっては大きい人ですよ。
船のへさきの木彫りの女神像みたいなもんです。
それは自分が未知の航海に出るときに安全を願う、船先のね。
カリブの海賊でも、全部、船先は女神、
あのバージンの女神が付いてるでしょ。」
美輪「何てポエジックな詩人なんでしょうね。」

武田「つまり九州というのは、女って守り神なのよ。
土俗的に何かあった場合は、女性の指示を仰ぐ、という習慣があるんですよ。」
美輪「卑弥呼の昔からね。」
武田「卑弥呼の昔から、神功(じんぐう)皇后から。
女性が持っているエネルギーというのを、男が正しく使うことで、男はやっと生きていける。」
国分「すみません、僕ちょっと、理解の仕方を間違えていたみたいで…
僕らの年代で言いますと、武田さんというのは役者さんのイメージが強いんですけれども。
『母に捧げるバラード』で。」

[悲惨なデビュー]
武田「追い詰められて、決して順調な歌ではなくて、非常に悲惨な生まれ方で。
博多から出てきて、1年がんばるんだけど。
一緒に出てきたライバルは売れて、どんどん日本の新しい音楽シーンを作っているんだけど、自分達は箸にも棒にもっていう感じで。
(1972年アルバム「海援隊がゆく。」でデビューするが全く売れなかった)

追い詰められて『どうしよう。』
そうなったら『いいや、適当に語るか』
『そうだ、落ちぶれて帰ったときの用心に、母親のことをネタにしといて、
その歌を母親に対する詫び証文にしよう。
母ちゃんの歌を作ったから勘弁してくれ、っていう歌にしよう』
もう、断崖絶壁の悲鳴みたいな歌なんですよ、実は。
でも九州っぽく、懸命に笑い飛ばして悲惨さが出ないように惨めさが出ないように。
そういう思いで作ったんですよね。」

~落ちぶれて帰った時のために、母に対する侘び証文として作った曲
『母に捧げるバラード』が100万枚を越す大ヒットに。
武田さんも、お母さんも一躍、時の人となったのです~

[母 武田イクさん]
国分「どんなお母さんでしたか?」
武田「本人は、あの歌をきいたときは怒っていましたけれどね。
『笑いもんにしやがったな』
売れてきたら急に『よか歌たい。ジンとくるったい』
そういう世俗というか、そういうところが母親の真骨頂で。
『母に捧げるバラード』が売れ始めて、東京の新聞社、週刊誌の人たちが取材して。
あの歌を聴くと何となく母のみの歌みたいな感じがするじゃないですか、
父親がいない家庭の息子というみたいな感じが。
記者の人もよく調べずに
『お父さまはいつお亡くなりになってるんですか?』と聞くから母親が、
『はい、フィリピン戦線で見事な名誉の戦死を…』
国分「殺しちゃったんですか?」 (みんな大笑い。)

武田「そのときに、親父が帰ってきて通り過ぎたものだから記者さんが『あの方は?』
『あ、あの人は親しくしている近所の人です』そう言ったもんだから親父が怒って、
母親ひいきかもしれないけれど、この人はいいこと言うなと思ったのは、
『嘘つかな!』と言うわけよね。
『人がそう思うんだったら、その通り嘘ついてあげんと。
無駄に真実を話して、話をおもしろくしなくするというのは必要ない。
人間、何でもおもしろい話を聞きたいのであって、おもしろい話を聞きたい人にはおもしろく。
そんな風にケースバイケースで生きていくんだ』。」

江原「今日、お父さん来てるんですよね。」
武田「来てますか。」
国分「ちょっとショックを受けてんじゃないですかね?」
江原「いや、笑ってるけど、はは。」
美輪「だけどね、私のヨイトマケの唄はね、何も言わないで働く姿を見せて、
無言のうちに愛情を示すというものだけれど、武田さんの場合は、
どんなに辛いことでも何でも、全部笑い飛ばす、ユーモアの先人の知恵ですよ。

がばいばあちゃんとか、武田さんのお母さんとか、みんな九州女の、強さとユーモアにして、おかしいんだけどちゃんと哲学、真理があるのよ。
向こうがそう思っているんだったら、そういう風に装ってあげるの、お付き合いでね。
それが真理という言い方、そこが素晴らしい。」

武田「母親がよく言っていたんですけれど、本当に貧しいタバコ屋でしたからね、
でも『悲惨で、暗くてせつなくて、どうしようもない私。
その私を どこまでおどけて表現できるかっていう、それが人生じゃないか。』というね。」
美輪「そう。それが哲学なの。高等技術なんですよ。」
武田「僕も子供ながら『この人はおもしろい!』と思いました、母親を。」

~惨めな自分を笑い飛ばす、母のユーモアと人生哲学。
それが、大ヒットを生んだのです~

国分「ヒットするわけじゃないですか。」
武田「うん。」
国分「百万枚行って。
でもスピリチュアル・チェックの中では、 減って行くお客さんが怖い、というような話が出て来ましたけれども。」

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