武田鉄矢

Sponsored Links

【 2007年09月01日放送】【109回】パート2

今日のゲストは、歌手でもあり、俳優、タレントの武田鉄矢さん。

パート1からの続きです♪

3年B組金八先生 第5シリーズ Vol.9

[減って行く客]
武田「二千人の会場に満杯だったお客さんが、月ごとにゆっくり後ろから消えていって、
最後15人まで落ちるんだよね。もう、だめだぁと思ったもんなあ。」
美輪「真っ暗になりますね、そうしたら。」
武田「暗いですね、本当に落ち込みますね。
だから、ああいう一種のキワモノ、企画物と言われた歌だとしか思っていただけなくて、
どんどんお客が減っていく。真面目な歌を歌うんだけれども、全然聞いてくれない。
だから1年後に、女房とも結婚していたんだけれども、収入がなくなって、
2人で原宿のスナックで皿洗いをしたことがありますよ。
12月の30、31日手伝って、酔っ払ったお客さんに、
『去年は紅白で、今年はここかい』ってからかわれて。」

[どん底から救った妻の言葉]
武田「2人で真っ暗い大晦日を歩いていると、
女房が突然、この人すごいことを言うなと思ったんだけれど、除夜の鐘の鳴り響く中で、
『よーく見とこうね。ここどん底だから』って。
いい度胸してるな~と思ったんですよね。

その後、また彼女はいい事をいいましたね、あれ天の声でしたね。
『もう上るだけ!』といったの。
『もう落ちる心配しなくて、いいから。
今まで、落ちる心配してたけども。 ここまで落ちたら平ぺったいから。』」
国分「強いですね。」 
武田「その言葉、『よ~く見とこうね。ここどん底だから。』っていうのがすごく支えだったし…。」
国分「その言葉がなければ、もしかしたら歌手を諦めているということも…。」
武田「女房には言った、『いったん辞めて帰ろう』と。でも笑って聞かないの。」

~人生のどん底で、武田さんを救った妻の言葉。
そして、同じ時期に母は~

武田「それで、ちょっと仕事にひっかけて里に帰って、
母親のところに行って、酔ったふりをして『帰ってこようかな』って…。」
国分「言ったんですか?」
武田「言った。そうしたら、全然聞かないのね、話を。
人が一生懸命、いつでも泣く準備をして話しかけているのに
背中を向けて、ず~っとごそごそ何かをやっている。
『何をやっているのかな。』と思ったら、お酒に燗をつけているんだよ。
アルミの鍋で、忘れもしない、あの寒い冬は。
燗がつき終わったら、父ちゃんを呼んで、コップ3つ置いてその日本酒を入れて、
『はい、どうもおめでとうございます!乾杯!』ってね。」

[突然の乾杯]
武田「突然の音頭とりだったので、正直に、
『めでたか事は何もなかばい。もうお客さんも入らんけんね、
俺もやっと正気に戻ったけん、帰ってこようと思う。めでたか事はなかばい。』
そうしたら『帰ってくるな』と言う。」
国分「お母さんが。」
武田「うん、言い方がまた、生々しいね。
『帰ってきたら、近所の体裁が悪かぞ。』と。
近所のことを話している場合じゃないだろう、
人が人生を賭けて話しているのに…。
で、乾杯!乾杯!親父は寝ぼけている。

そのときにお袋が言ったことが強烈だったんだけど、
『お前、背中に疫病神がとり憑いとるぞ。
貧乏臭い顔になっとるけん、疫病神が離れんたい、住み心地がよくて。
1つここで、武田一家3人で一芝居打とう!
乾杯、乾杯って言うて大騒ぎすりゃ、厄病神が
「とり憑き甲斐がない。ここまで落としても、まだ乾杯!と言う。」って逃げ出す。
疫病神があきれるようなことをせな、憑いてくるばい。』
人間、最後に救うのは芝居っ気だよね。
親父も『乾杯しよう、母ちゃんがそう言いよるけん』
3人で乾杯!と言って、飲みながら、それでも不安は不安ですよね。」
国分「そうですよね。」
武田「だけど、失意の息子に何にも優しい言葉とか事の理屈を教えずに。
いきなり、劇中芝居劇みたいなめでたい芝居に変えてしまうっていうね。
この人はエネルギーあるなと思って。」

美輪「素晴らしい教えですよね。やはり子供に対する親の教えというのは
本来そうあるべきなんですよね。素晴らしい。」
国分「何か心の持ち方で…。」
武田「そうそう。お2人じゃないんだけれども、
人生のものの見方を 視点をちょっと変えるだけで、
狭かった希望の道がこんなに広く見えたりする。
それはやっぱり、頭じゃないですよね、手足から出てきた言葉ですね。」
美輪「人生哲学ですよね。」
武田「そうですね。」

~辛い時こそ、一芝居打って、明るく大騒ぎ。
その時の様子を語る、母イクさんの貴重なVTRがありました~

お母さん「『お前も、男なんだから、もう1回、東京に戻って行って。
何か、お母さんに4つ5つぐらいのヒット曲を握って
お土産として持って帰って来てくれないか』と言って。
そして、お父さんと3人で。コップで乾杯したんですよ。
『今が第一歩だ』と。『今までの事は全部、忘れてしまえ』言って。
そして一番の飛行機に乗せて、東京に送り返したんですよ。」

~母の人生哲学が、また武田さんを救ったのです。
そして…武田さんの人生に最大のターニングポイントが~

[どん底からの復活]
東京に戻って1ヶ月か2ヶ月で。
信じられない、三流フォークシンガーの俺の所に仕事が舞い込むの。
それ、本当に忘れない。マネージャーから、すれ違う時に パッと渡されて。
ふっと見たらね、映画のタイトルが付いてるわけ
『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ 監督・山田洋次』。」
次にパッとめくって『どんな脇役だろう、通行人でも何でもいいからやろう』と思ったら
一番最初の主役のところに『高倉健』と書いてある。
もうね、九州の者がすべて伏し仰ぐという、縄文土器のような俳優さんなんですよ。」
美輪「健さんは小倉出身だから。」

武田「その横に『倍賞千恵子』『桃井かおり』とあって、
俺は二枚目のページかなと思ったら
一枚目に『武田鉄矢』って父と母からもらった名前が。うれしかった~!」
国分「すごいですね。役者をやったことはなかったんですよね。」
武田「全然やったことはない。お芝居をやったことはないし、
何で自分がこんなすごい映画に指名されたのかもわからないし。」
美輪「じゃ山田さんのオファーだったんですか?」
武田「そう~ですね。」
国分「発想は?」
武田「発想はですね。それもやっぱり歌だったみたいです。」
国分「へ~。」

[幸福の黄色いハンカチ]
武田「美輪さんからも頂いた『母に捧げるバラード』をパチンコ屋で、お聞きになってて
『この子、もしかすると台詞の作れる子かもしれない。』と。
つまり『台本で一応台詞は書いておくけれども、現場に行って、
今の若者の生々しい言葉で、自分の台本を、もう一回膨らましてくれる、そういう才能が欲しかったので。
フォークシンガーって詞を書くので、詞の勢いで台詞も作ってくれないか?』と。」
美輪「さすが山田さんね。」
武田「そうですね。」

国分「後から聞いた話なんですか?」
武田「後からです。もう、最初会ったときは優しいんだよ、山田さんて。
もう、声も良いしさ。
こう、じーっとうつむいて『貧しい青年が。ふっとこう…愛を見る』なんてね。
もう、とろけるような言葉なのよ。『よし!』とか思ってさ、
そして現場入ったらさ、怖いのなんのさ。」
美輪「はっはっは。」
武田「俳優さんに座る、木の椅子か何かあってさ。
こんな格好してさ。
『出番です』って言われりゃ、行きゃあいいもんだと思ってたらさ。」
国分「はい。」
武田「朝7時半から呼び出されてさ、
『そこで転べ、あそこで転べ』って言われてさ。」(床を指差し)
出来なかったら何回も、だろ。」

国分「それ、怒られるわけですか?そうじゃないだろ、とか。」
武田「それは、おたくの先輩の木村さんも体験なさったけれど、
山田さんの気に入らないときの声の冷たさっていうのは、はっきり言ってすごいよ。
本当に体、真っ二つにされるような声で『違う!』っておっしゃるんだよね。
その声が恐ろしくて<、br /> 『はい、やってみます!』『よーい、はい!』
『よーい、はい!』…もう。」
国分「テイク何十くらいとかやっていたんですか?」
武田「気を失う寸前まで。だからテイク50を越えてる。
いくつもありますよ、『ハンカチ』の中で。」

国分「どん底まで1回行って、そしてまた役者として復活して。
こんなことをここで言うのもおかしな話なんですけれども、28歳の作品じゃないですか。
びっくりするくらい老けていますね。」
美輪「何ということを言うの。」
国分「これだけはどうしても言いたくて。」
武田「老けてるよなあ~。
でも、アンテナを出して、バカはバカなりに必死になって、
どこか何かいい電波がないかとか、必死になってたんじゃないかな。
健さんだって必死だし、本当に必死なんだよね。余裕なんか何もないんだよね。」
美輪「健さんはあの頃、悩んでいたから。
やくざ映画のイメージがず~っとついていたでしょう?
自分はそうじゃない。
役者は何でもできるわけだから、おやりになりたかったんだけど、 くれる方がそういうものしかくれないから。
色がついて、その色を落としたくていらしたのよね。
だから、これが転機になったの。これでブレイクして
もう、“やくざ映画の健さん”というのが全部消えちゃったのよ。」
武田「僕もそうでしたけど、健さんも演出して、映画を作りながら、
時々、倍賞さんが奥さん役で回想で出てきたりするシーンをやると、
男っぽい健さんが、じ~っと考え込んで、『普通っていいなあ』
ジーンと来ましたよね。」
美輪「健さんにしても、武田さんにしても、本当に曲がり角同士の人だったのよね。」
国分「それで、助演男優賞を?」
武田「そうです。」
美輪「いきなりですもんね。
役者でもなくて歌い手さんで。
しかも仕事がなくなってて。二重三重に、もう可能性がまるでない所が、
いきなりホームランですものね。」
武田「ほんとですね

~山田洋次監督に見出されたのは
『母に捧げるバラード』の語りが、きっかけ。
いわば、母イクさんの人生哲学を
幼い頃から、叩き込まれたおかげでした。
そして、その陰に目立たない父の大きな支えがあったのです~

次ページへ⇒パート3へ続きます♪

Sponsored Links

このページの先頭へ