千原ジュニア

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【 2008年08月02日放送】【131回】パート2

今日のゲストは、お笑い芸人「千原兄弟。」の千原ジュニアさん。

パート1からの続きです♪

[バイク事故]
お笑いの世界でご自分の居場所を見つけた千原ジュニアさんでしたが、
「レギュラー番組を持つと死にかける。」という不吉な伝説を持つようになります。
1995年、関西でレギュラー番組を持った時には、急性肝炎で突然、意識不明になって入院。 2001年、東京に進出してレギュラー番組を持った時は、バイク事故で
顔が変形するほどの重症で、4日間意識不明に。
その上、肝炎で入院したのも、バイク事故から意識が戻ったのも、
ご自身の誕生日である3月30日とのこと。

*:.。.:*☆*.。.:*
「僕はゆっくりと鏡に顔を映した。 顔が2倍ぐらいに腫れあがっていた。
しばらく見つめていると、血が混じった泪が流れてきた。 終わった。
僕にはもう、笑いを創ることはできない。」
(千原ジュニアさん著 「3月30日。」より )
*:.。.:*☆*.。.:*

3月30日

国分「バイクの事故っていうのは、どんな事故だったんですか?」
千原「1000ccのバイクだったんですよ。
会社から帰る夜の11時半ぐらいですかねえ。走っていたらタクシーが停車していたので、
それを通り過ぎようとしたら出てきたんで、それで 『あっ!』ということでハンドルを切ったら、
等間隔に歩道に立っている石柱に 顔面からグシャっていったんですね。」
国分「先ほど、その本の中でもありましたけれども、やっぱり自分の顔を鏡で見たときは
もう本当に『終わった!』っていう気分になったんですか?」
千原「『終わった。』と思いましたね。もう、グッチャグチャやったんで、はい。」
美輪「そりゃそうよね。『もう人生おしまいだ。』と思うでしょうね。」
千原「はい。」
国分「その間はやっぱり、『もう、芸人を辞めよう』という考えになって いくんですか?」
千原「『芸人を辞める』というより、『芸人に戻れるはずがない』と思っているので、 もう何か真っ白ですね。
何も考えてないですね。」
国分「意識が戻ってからは?」
千原「まあ、意識が戻るといっても、1日にほんとに数分だと思うんですよね、多分。
戻ってる感覚は。」
国分「そうなんですか。」
千原「はい。もう行ったり来たりしてる感じなんで。」

美輪「その頃ですか、臨死体験っていうのは?」
千原「それはですね、僕、会社でバラエティ番組のアンケートを書いたんですよ。
ある程度書いて『さあ帰ろう』と言って、会社の広報のところにいろいろな写真があって、
その中に先輩の『リットン調査団』いうコンビの方がおられるんですけど その方々がコントで、
何かお花顔が出て、花びらがついた 花の格好をしたコントの写真があったんですよ。
『うわ、これおもしろそうなコントやな、見てみたいな』と思って、バイク乗って帰ったんですよ。
それでまあ、事故ってお花畑みたいなのが出てきて それを付けたリットン調査団さん二人が、スローモーションっぽい感じで 『わあ~』って走っているんですよ。
『こっち来い、こっち来い』って言っているんですよ。
何か知らないですけど、俺は『そっち行ったらあかん。』と思ってるんですよ。
リットンさんお2人共、もちろんね、生きてはりますし、ようわからないんですけど、
そういうのを見たんですよ。」

国分「『行っちゃいけないな。』というのがわかっているわけですか、なんとなく。」
千原「はい。こんな失礼なことないですけどね。」
美輪「『行ったらやばい』と思って。」
国分「これ、行ったらどうなっていたんですか?」
江原「お帰りになっていたですよね。」
美輪「一丁上がり。」
国分「『行っちゃいけない』という意識は、ジュニアさんの中で持っているっていうのは
『生きよう』っていうことなんですか?」
江原「だからそれっていうのは、自分の本質の中で『生きたい』っていう思いが、 そこで出ているわけなんですよね。
その理由もまた後で話しますけれども。」
国分「それにもちゃんと理由が。」
江原「あります。」

国分「まあそういう体験をしながら、芸人ももう無理だな、って思いながら
復活するわけじゃないですか。それは何かきっかけみたいなものはあったんですか?」
千原「それはですね。ICU(外科系集中治療病棟)から一般病棟に移された、
もうその日に、ガンガン、先輩とか後輩が見舞いに来てくれるんですよ。
『大丈夫か?』『心配したぞ』みたいなことは、芸人なので 一切いわないですけれど
バイクで事故ったというのに、バイク雑誌を大量に持ってきたり、『ご飯食べられへん』
って言っいるのに、グルメ雑誌をドーン!と持ってきたり。
バイクで主人公が事故って死ぬっていうビデオを持ってきたりとか、でもそれがすごくうれしくて、いろんな方々が、ほんまに毎日のように。」

国分「一番最初に誰が来たかとか、覚えていますか?」
千原「一番最初は、板尾創路さんっていう、僕がこの世界に入ってからお世話になっている先輩なんですけど一番最初に来てくれて、『何しとんや、お前。はよ帰って来い!』って言って帰っていったんですよ。
僕はそんなことを言われるとは思っていないので、『終わった』と思っているので、
『え?何言うてはんのやろう?』みたいな感じで、
それからもう、ひっきりなしにいろんな人が来てくれて、『まだ俺、芸人なんや』。」
美輪「それは思いやりよね。」
千原「はい。いわゆる楽屋みたいな感じで、バカ話をして帰っていくだけなんですけど、
それを見せられるだけで、すごいその愛情というか、
ほんまに 愛情をずっとぶっかけられ続けてるみたいな感じで。」
美輪「ありがたいわね。」
千原「はい。『そっちに戻ってええのや』という感じで。」

~2001年8月、再び舞台にもどる日がきました。
5ヶ月ぶりのステージ
観客は待っていてくれたのです~

[事故で学んだこと]
国分「初めてというか、復活した時のことは覚えていますか?」
千原「覚えてます、舞台です。」
国分「やっぱり久しぶりに人の前でライブをやって、お客さんの笑い声が聞こえて
『戻ってきたな、良かったな』って安堵感みたいなものがあったわけですか?」
千原「安堵感というかめちゃめちゃうれしかったですね。」
美輪「その時、命のありがたさとか『生きてる!』っていうものの噛みしめ方って
すごいでしょう?」
千原「はい。あの初めてでしたね。『ありがとうございました!』って言った時、 完全に泣いていましたね。」
国分「本当ですか?」
千原「はい。」
江原「でも、いま美輪さんがおっしゃったように、ジュニアさんの場合は、
吉本の養成所に入った時からもそうだけれども、今回の人生って全部、 『実感すること』がテーマ人生ですよね。
だから『生きている実感』もそうだし、初めて手ごたえを感じたのが、吉本の養成所。
勉強して合格する。
でも本当の手ごたえにならなかったわけですよね、その時は。
だから勉強の後、引きこもったというのは、もういちど考える。
『手ごたえって何なんだろうか?』
そのケガがあった、そして、美輪さんがおっしゃったように、
物を食べることもそうだし、生きている実感もそうだし、歩くことができたとか、全部実感。」
千原「そうですね。」
江原「常にそれを1個ずつ噛みしめていく人生、だと思うんですよ。
もちろん、その理由はあるんですけれどね。」

国分「その事故を起こしてからというのは、やはり人生観というのが変わりましたか?」
千原「本当に事故で、あごが割れて、針金でグルグル巻きにして、何も食べれないんですよ。 歯が折れているので、その隙間から豆腐をすするしかないんですよ。
でも、その豆腐をすすれるようになった時に、めっちゃうれしいことなんですよ。
それで豆腐を、後輩なんかが『いつも同じドレッシングじゃかわいそうやろう』と言って
みんながお金を出し合って、20本くらいドレッシング 『兄さん、今日はどれにします?』みたいなことでやってくれたり。
今度はちょっと開くようになるんですよ。
そうしたらちょっとした物も食べれて『うわあ、うれしい』みたいな。
だんだん口が開いてきて、すごく肉が食べたいんですよ。
それで肉が食えたときに 『うわあ、うまい~』とか。」

美輪「それが、人生の何よりの修行なんですよね、ありがたみ。
健康な人間で、生活している人たちは、そのありがたみを何にも感じないで、
当たり前だと思って、傲慢になって生きているんですよ。
食べるうれしさ、見ることができる、聞こえる、 自分の足でトイレでも行ける、
そこらへんも歩ける…、その1つ1つのありがたみ。
それを当たり前になって、感謝を全部忘れている。だから不平不満ばかりするんですよ。
不平不満とか、怒ることとか、そっちの方ばかり探そうとする。
だから、不幸せなんですよ。
だけど、そうやって『ああ、豆腐が食べられた』『硬い物が食べられた』
1つ1つ、全部がありがたいでしょう?ね?
それがものすごく、修行なんですよ。 だからそれを、皆さん、普段から忘れちゃいけないよ、というさとしなんですよね。 悟りですよ。」

国分「どうですか、性格とかも変わった感じがしますか?」
千原「ありますね。あの、もちろんその、若さもあったと思いますけれど、
かなり突っ張っている部分もありましたし、
例えば『笑い』でいうと、『うけない』。 じゃあ、お客さんが悪いとか。
『俺の笑いがわからへんのやったら、もういいよ』、みたいな考え方があった部分が、 そこは全部、変わりましたね。
たくさんの人と笑いを共有したい、じゃあそのためにはどうしたらいいか、
もう少しこれよりもこっちの言葉を選んだ方が伝わりやすいかな?
とかっていうことを 考えるようになった気はしますね。」

美輪「つまり、攻撃的で傲慢だったのが、それを悟ることによってすっかり 影を潜めたというわけ。
素晴らしい大きい財産ですよ。」
江原「ねえ。だって入院なさっている時に、バイクの事故で死ぬビデオとかね、
そういうのもそうだし、そういう中で笑いがね、元気や勇気を与えていてくれることも また実感しているし、
ただ『笑わす』とかいう芸だけじゃないっていうことを、
そこで実感なさっているから、よけい変わりますよね。
どの方に向けても、 生きるエールになっていますからね。」
千原「はい。」

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