渡辺えり子

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【 2007年08月11日放送】【106 回】パート1

今日のゲストは、「劇団3○○。」を結成、解散後に「宇宙堂。」を結成。
女優で演出家、劇作家でもある渡辺えり子さん。
(2007年9月に美輪明宏さんの助言で、芸名を「渡辺 えり子。」から「渡辺 えり。」に改名しました。)

【オープニング】
「舞台のお仕事の良さっていうのはどういう所にありますか?」という国分さんの質問に美輪さんが答えます。
美輪「生の空気がね。お客様と共有出来て。千人、2千人のお客様が『ブラボー』って 総立ちで『アンコール!』ってやられる。あれですよね
舞台に出ていて、お客様が心理的に変わっていくのがわかるんですよ。
だんだん感動して、その人の人生にいろいろ照らし合わせて、浄化していくとかね。」

国分「浄化していくのもわかるんですか?」
美輪「そう。どこら辺のお客が自分に反感持っているとかね
『どんなもんだ、やるんならやってみろ』という風に思ってるな、ということとか 全部わかるのね。」

江原「チケットのいらないお客さんもたくさんいらっしゃるんですよ。いっぱい。」
国分「チケットのいらない?なるほど、上の方でみている
どのぐらいの人数が集まっているんですか?」
江原「そうですね、下と同じぐらいの数。
いらっしゃるお客さんというのは まだ向こうに行けていない方たちだから、
お話を聞いて スーッと浄化したりするんですよね。」

~1955年1月5日山形県生まれ
自分が書いた小説を友達に読ませていた少女は
才能溢れる劇作家、そして存在感ある女優へと成長した
幼い頃から彼女を悩ませた、死に対する恐怖の原因は
今、改めて伝えたい反戦のメッセージ
そして、今後益々、活躍を期待される彼女が
なぜ今夜、招かれたのか、その理由は~

早すぎる自叙伝 えり子の冒険

~渡辺えり子さん、これからスピリチュアル・チェックを始めます~

【渡辺えり子 スピリチュアル・チェック】
自分の性格をひと言で⇒幼児性が強い
怖いもの⇒戦争、血、タルタルソース
人生の転機⇒劇団3○○を解散したときと、
東銀之助という長年一緒にやってきた役者さんが亡くなったとき
今、空に飛んでいると想像すると、どこに向っているか?⇒空がず~っと続いているような、ず~っと空ですね
不思議な体験⇒若い頃、舞台芸術学院の近くの喫茶店に仲間と行って
大好きなナポリタンを注文しようとしたら、どうやっても口が「ピラフ」と言ってしまう
たまたま麺が腐っていたらしくて、みんな食中毒になったけど、 私ひとりだけ助かったという経験があります
将来の目標⇒今ちょっと悩みごとが多すぎて、将来の目的が定まらない
見えなくなっていて。だからなぜこういうときにここに出るのかというのが
本当に偶然というか、必然というか、そういう状況になっています

[明日は決断の日]
国分「今日やっぱり呼ばれたんじゃないかな、って気しますか。」
渡辺「ええ。明日、決定しなきゃいけない事が沢山ありまして。
で、それは、もうほんとに人生の転機になるであろうぐらいのことが明日あるわけですね。
それを自分が決断しなくちゃいけない。だけども決断するのにいろんな人がいますから
その人の事情とかもいろいろ考えて、一番いい決断をしなくちゃいけないんですよ。
各々がいちばん幸せになることを考える決断をする。それが辛いですよね。」
国分「なるほど。」
渡辺「あ、もう何か。来ちゃったね、ちょっと。やばい。」(涙ぐみます。)
国分「これは今までで一番早い涙かもしれないですよ。」
渡辺「早いですよね。ちょっとやばいですよ。」

[ピラフ事件]
国分「不思議な体験で、ナポリタンを食べようと思ったらピラフって言っていた、って 言ったじゃないですか。これね僕もあるんですよ。」
渡辺「うそ。」
国分「僕はスパゲティを食べようと思ったら、カキフライって言ってるんですね。」
美輪「すごい、スパゲティ、カキフライ、全然、違いますね。」
国分「でもこれは、あの中井貴一さんもありましたね。
嫌な仕事(映画出演)だと思って断ろうと思ったら
『やります』って口が言ってしまったという。」
美輪「頭の中と、口から出る言葉が全然、接触不良。 接続が悪いのよ。」

国分「で、ナポリタン食べた人は皆さん。」
渡辺「もう、吐いて下痢、ずっと次の日まで。
ピラフ食べてるから全然平気だったんですよ。
そしたら、その時に限ってスパゲッティの麺が古くなってたんですって。」
国分「助けてくれたんですかね?これは。」
美輪「もちろん、そう。」
渡辺「ちょうどその頃に私の声を吹き込んだテープを 霊能者の人に聞いてもらったんですって。
そしたら『7人の方が守ってる声が聞える』って言われたとかで
まさか!とか、言ってた頃だったの。」

国分「そういう不思議な体験というのはそれだけなんですか?」
渡辺「いや、わりとありましたね、処女の頃は。」
国分「え、ちなみに、その処女の頃っていつ?」
渡辺「20歳ぐらい。
何で言わせるの、こういう事。」
国分「俺は、そこまで言うとは思わなかったんで。」
渡辺「だって聞くからじゃない。
だから、電話の音が誰かなとか分ったり。
偶然に会いたいと思った人に会ったりとかすごくあったんですよ。
それで、その処女じゃなくなったら。そういうの何か能力が無くなって。
で、最近、またちょっと。最近またちょっとって、やだ。」
国分「処女になったって事ですか?また。」
渡辺「ていう事だよね?やだ。」

国分「でも最近また、そういうような不思議な現象が。」
渡辺「だって、この間、父が倒れたんですよ。大丈夫だったんですけど。
その時も、山形なんですけど、たまたま郡山にいたんですよ。
それが弟から、倒れたって時に。」
国分「話を聞いて。」
渡辺「だから1時間半で戻れたの。」
国分「なるほど。郡山にいたから。」
渡辺「しかも、たまたま夫と電話でケンカをしていて
『一つ電車が遅れちゃったよ』と言って待っている間に弟からの電話が来て
そのまま逆方向の新幹線に乗って1時間半で病院に着いた。
もし東京の家にいたら、何時間もかかっているわけでしょう?それがつい最近の話なの。
もしかしたら、20歳前の処女の頃に戻っている可能性がなきにしもあらずかな。」

江原「いえ、そんなことはない、ずっとです。渡辺さんは典型的憑依体質。
霊的なものをすぐに引き寄せてしまう。
それは若いときから、今後もきっと変わらないと思うんですけど、その時その時でキャッチするものが違ってくるんですね。
憑依体質の人というのは、プラスにも働くけれどもマイナスにも働くときもあって。
その時々の自分のモードが引き寄せる、波長の法則といって、
お友達を呼び寄せるところがあって。
(波長の法則…同じに波長や物を引き寄せる)
亡くなってる相手ばっかりじゃなくて生きてる人も憑依するんです。
とにかく人の心の方を憑依させてしまうから、
自分が違うと思ってもその人の気持ちで答えてしまったり。
この世的には『情が厚い』とも言うけれども、
自分が『今日は厳しくはっきり言わなきゃ。』と思っていながら、
その人の立場の方を汲んでしまってその人に一番いいように答えてしまったり。
その都度、どこに自分の本心があるのかわからなくなってしまうような時も。」
渡辺「あります。」

~憑依体質で人の気持ちに影響され易い。
実は、それこそ渡辺さんが今夜招かれた理由
現在抱えている問題の原因である事が後ほど、明らかになります~

美輪「その反対もあるのよね。
優しく言おうと思ってもものすごく、自分で意識しないで相手を傷つけちゃったり、ボロボロにしちゃったりということがあるのよね。」
江原「それでいてね。努力しない人、すぐに自分でダメだとかって言う人、 愚痴る人、そういうの大っ嫌いなんです。」
渡辺「うん。」

[努力しない人が嫌い]
江原「でいて、そういう人にまたカ~ッって強くなりがち。
それもまた実は理由があるの。」
国分「理由があるんですか。」
江原「それを言わせてしまう人がいるの。」
国分「後ろに。」
江原「後ろにいるの。色々まあ、いろんなメッセージがあるんですけどね。」
渡辺「やれば、ちゃんとなるのに。もったいないと思いますよね
その一歩をやらなくてすぐに『私なんかって卑下するのはおかしい。」

[机上の論理]
渡辺「自信持ってもう一歩そこで現実に向うだけでしょう?
机上の論理で考えるのがやっぱり嫌だなと、だから戦争に対してもなんですけど。
戦争だって、机上で考えている人はず~っと生き残るわけですよ。
だけど実際に亡くなるのは、一般の弱い立場の人たちが行ってみんな亡くなっていく。
机の上で、『こうやって、そうだよ、こうだよ』とか『日本の国のこうだから』なんて、 口では言ってたって、自分は生き残るわけじゃないですか。
で、想像してみようとしない、人っていうのがやっぱり苦手ですよね。」
美輪「軍国主義で、軍隊を作って…と言ってる人たちは、 まず自分が兵隊の一兵卒になるつもりで、そこから始めなさいというの。
言うことは、いくらでも言うんですよ、机上論でね。
『じゃあ、60、70、80歳になってもいいから、まずは言いだしっぺの責任を取って 自分達が鉄砲を持って第一線に戦いに行きなさい。
それから言いなさい』というの。
自分達は大本営の後ろ側にいて『100人、200人、3000人、兵隊をやりましょう。』
誰をやると言っているの?
これをみている視聴者の皆さんの息子さん、お孫さん
夫、恋人、兄弟、愛する人たちをみんなやると言っているのよ。
自分たちは行かないんですもの。
馬鹿野郎!そんなテメエが行けっていうのよ。」
渡辺「そうですよ。」

~美輪明宏と渡辺えり子
二人の出会いは渡辺さんが 舞台芸術学院で本格的に芝居を始めた頃。
演劇の魂が2人を結び付けたのです~

[美輪との出会い]
国分「先程、美輪さんは『初めまして』と言ったんですけども。」
渡辺「『もう勘弁してくださいよ』って感じなんですけども。」
国分「お付き合いは長いんですよね。」
渡辺「師匠ですから。」
国分「師匠!」
渡辺「いろんな事、教わった。」
美輪「とんでもない。」
渡辺「私、舞芸(舞台芸術学院)に入ったのが18歳で
演劇をそこで3年間やってたんですけど
美輪さんの舞台を手伝わせていただくようになってから
裏でよくセリフ合わせとかでいって。

美輪さんはセリフをだいたい3回で覚えちゃう人なんですけどね。
『あ、もうわかった』とか、すごいなあと思ったんですけど。
で、いろいろなビデオ、フランスのなかなか手に入らないビデオとか
ドイツの昔の映画とかのビデオを、美輪さんの家で夜中に拝見して学んで。
当時、ビデオとか誰も持っていないときに、やっぱりお持ちなわけですね。
それで惜しげもなく見せてくだくださるから。」

美輪「新派とか歌舞伎とかね。」
渡辺「そう。新派も、だって花柳章太郎さんって、御存知ですか?」
国分「いや。」
(花柳章太郎(はなやぎしょうたろう 1894~1965…新派を代表する女形役者。
代表作に「日本橋。」「婦系図。」など)
渡辺「その人が生きてる頃の「日本橋。」のフィルムを、 20歳のときに見せていただいたんですけど
こんなにテンポが速かったのかってすごく驚きました。もうポンポンポンポンて。
で、それを『自分はもう寝るから、勝手にみていていいわよ。』っておっしゃってくださって。」
国分「めちゃめちゃ深いじゃないですか。」
美輪「夢でもご覧になっているんじゃないですか?はっはっは。」

~いち早く渡辺さんの才能を見抜いていた美輪さんが 名づけ親となった劇団3○○(さんじゅうまる)
1983年「ゲゲゲのげ。」で岸田国士戯曲賞を受賞。
俳優としても注目を集める事になります~

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