柳原可奈子

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【 2008年02月16日放送】【118回】パート2

今日のゲストは、若手お笑い女性芸人の柳原可奈子さん。

パート1からの続きです♪

[過保護なお母さん]
30後半の子供だったので、すごく過保護で、母も最初、お人形のように育てていて
小さい時に赤ちゃんモデルをやらせたりだとか。」
美輪「かわいかったでしょうね。」
柳原「このままです。4400gで生まれたので。」
美輪「マシュマロマンの赤ちゃんみたい、かわいい。」
柳原「一人っ子で、もうベタベタ育てられて、母親は中学に上がるぐらいまで 靴下をはかせてくれていたんですよ。
お洋服も全部着せて、髪も結わえてリボンを付けて『はい靴下』って感じの母でした。
すごく明るい母。 でも、母は2年前、私が19の時に病気で亡くなったんですよ。」
美輪「お辛かったでしょう。」

柳原「そうですね。やはりすごく、自分の中でうんと強くなったなって思いますね。
何にしても母任せだったり、それこそ学校を休むでも、バイトを休むでも
母親が電話して頭を下げてくれる人だったので、
自分で何かしなきゃと 思うようになったんですね。」
国分「じゃあ、その切替は大変でしたか。」
柳原「大変…でした。」

美輪「だから、やはりかわいい、かわいい、って何から何までかわいがるのは それも結構。
だけど、その子が一人になったとき、大変な思いをするのね。
だから過保護というのは、自分は母親としては満足、父親としては満足だけれども
子供のためには毒になる場合があるの。
それで結局、自分が死んだりしたときにこの子は一人で生きてるだろうか?
生きていけない子が今、いっぱい出てきてるの。」

国分「お母さんはテレビに出ている可奈子ちゃんを知らないで亡くなった。」
柳原「知らないですね。」
国分「じゃあ、どうやって切り替えていきましたか?参考になる人もいるかもしれない。」
柳原「何だろう、その分すごく、19年間が濃かったんですね、本当に。
40、50…それくらいまではだいたい皆さんの親は生きているけれども、
その分の愛情を19年間で貰ったって、はっきり思えるんです。
それで、亡くなったことが母の最後のしつけというか きちんと一人で生きていきなさい!
って言ってくれたんだろうなって、 すごく精神的に考えて、自分で変わろうと思って、
変わりました。」
美輪「もあなたはともと意志が強いのね。
その意志の強さがいい意味に働いたのね。」
柳原「そうかもしれないですね。」
国分「そう思えるまで、時間がかかりましたか。」
柳原「かかりました。今、こういう風にカメラの前でしゃべっていることが不思議なんです。
(お母さんのことを)話すことが、まずできなかった。乗り越えられないというか。」
江原「あと、お母さんはたくさんしてくださったけれども
やはり自分が返すということができずに終わったじゃないですか。
だからそういったことへ悔いもあるし、いっぱい愛情をいただいたんだけれども
自分の方からのことが、まだまだ足りなかったのに、という悔いとか。
あとお父さんもお母さんも含めて、全部が自分の世界の全てだったでしょう?
要するにお友達でもあり、親でもあり。本当に家族、お家が大好きなんです。

そうはいっても、結構、お母さんとも衝突もしていたみたいね。
それも仲がいいからの衝突なのね。
どうしてもっと良い時間を過ごせなかったんだろう、何で対立しちゃったんだろうという
悔いがあるかもしれないけど、 その気持ちをお母さんは充分くんでいて、
お母さん自身の悔いは あまりないんじゃないですか。」

[若くしてなくなった母親]
国分「亡くなったのは、突然だったんですか。」
柳原「体はずっと悪かったんです。小学校の時からずっと入退院を繰り返していて。
でも、わたしの心の準備ができるほどの期間はなかったです。」
江原「お母さん自身にも、わりと精神的な不安定さというのがすごくありましたでしょう?
やはり体と共に精神的な不安定さがあったから、気持ちの中での複雑なやりとりがあって、娘だから守らなければいけない、でももう大人に成長している、という葛藤とか。
でも家族や夫婦でもやはり全てが思うようにはいかないじゃないですか。
それをどういう風に受け入れて、良い方に少しでも向いていけるか
それが大事だということも柳原さんにお母さんはある意味で人生をもって 教えてきたんじゃないですか?
お母さんはそれを大人になってから話そうと思っていたけど、
断たれちゃったようなところがあるわけ。
だからこれから、本当の心を語れる時だったんだけど。」

[お母さんへの思い]
逆にお母さんに言い忘れたこと、言い残したことはありますか?ときかれて、
柳原可奈子さんの話。
柳原「それが、忘れてしまうんですよ。その時はすごく感じることがあったけれども
もう、声も覚えていないし、どこかで聞いたんですけれど
『声、顔、思い出』の順番に忘れていくって。
すごく、好きだったし亡くなってすぐはいろいろ思ったんです。
『こういうことを言えば良かった』とか『もっとああすればよかった』とか
いろいろ考えたんですけど、最近だと、出てこないんです。」

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